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勝長寿院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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[[ファイル:勝長寿院跡・文覚屋敷跡 (2).jpg|thumb|500px|勝長寿院の通称「大御堂」の名前が残る「大御堂橋」]]
'''勝長寿院'''(しょうちょうじゅいん)は、神奈川県鎌倉市雪ノ下(相模国鎌倉郡[[鎌倉]])にあった[[源家]]ゆかりの寺院。本尊は[[阿弥陀如来]]。[[源頼朝]]が鎌倉に創建した最初の寺院で、父[[源義朝]]の菩提寺。源頼朝が鎌倉時代初期に造営した三大寺社([[鶴岡八幡宮]]、[[鎌倉・永福寺|永福寺]]、勝長寿院)の一つ。[[日光山]][[日光・輪王寺|満願寺]]座主[[日光・光明院|光明院]]を兼務。[[関東祈祷所]]。'''大御堂'''。'''南御堂'''。山号は阿弥陀山。
'''勝長寿院'''(しょうちょうじゅいん)は、神奈川県鎌倉市雪ノ下(相模国鎌倉郡[[鎌倉]])にあった[[源家]]ゆかりの寺院。本尊は[[阿弥陀如来]]。[[源頼朝]]が鎌倉に創建した最初の寺院で、父[[源義朝]]の菩提寺。源頼朝が鎌倉時代初期に造営した三大寺社([[鶴岡八幡宮]]、[[鎌倉・永福寺|永福寺]]、勝長寿院)の一つ。[[日光山]][[日光・輪王寺|満願寺]]座主[[日光・光明院|光明院]]を兼務。[[関東祈祷所]]。'''大御堂'''。'''南御堂'''。山号は阿弥陀山。
(参考:同名寺院[[大御堂]])
(参考:同名寺院[[大御堂]])
==歴史==
==歴史==
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1185年9月3日、源義朝と鎌田正清の首を埋葬。
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*1185年(文治1年)9月3日:源義朝と鎌田正清の首を埋葬。
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10月24日に落慶した。代々の将軍が年末に参詣。
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*1185年(文治1年)10月24日:落慶。以後、代々の将軍が年末に参詣。
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室町時代にも関東公方[[足利家]]が重視した。
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*室町時代:関東公方[[足利家]]が重視した。
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1540年頃までは現存していたが江戸時代初期には廃絶していた。
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*1540年(天文9年)頃:このころまでは現存していたが江戸時代初期には廃絶していた。
跡地には石碑などが建つが、一帯は住宅地となっており、本格的な発掘調査は行われていない。
跡地には石碑などが建つが、一帯は住宅地となっており、本格的な発掘調査は行われていない。
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*本堂:
*本堂:
*弥勒堂:
*弥勒堂:
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*五仏堂:本尊は五大尊。源実朝の供養のため建立。
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*五仏堂:本尊は[[五大尊]]。源実朝の供養のため建立。
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*新御堂:勝長寿院奥殿。北条政子が建立。
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*新御堂:勝長寿院奥殿。[[北条政子]]が建立。
*御所:北条政子が造営。
*御所:北条政子が造営。
*持仏堂:御所に付属。廊の御堂。源実朝の持仏を祀ったという。
*持仏堂:御所に付属。廊の御堂。源実朝の持仏を祀ったという。
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*[[源実朝法華堂]]:
*[[源実朝法華堂]]:
*[[北条政子法華堂]]:
*[[北条政子法華堂]]:
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file:勝長寿院跡・源義朝墓・鎌田政長墓.jpg|源義朝墓・鎌田政長墓
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file:勝長寿院跡・文覚屋敷跡 (1).jpg|文覚屋敷跡
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file:勝長寿院跡・文覚屋敷跡 (2).jpg|文覚屋敷跡
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file:勝長寿院跡・文覚屋敷跡.jpg|文覚屋敷跡
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==組織==
==組織==
===勝長寿院別当===
===勝長寿院別当===
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*[[文覚]](生没年不詳)<>:勝長寿院を創建。[[鎌倉・永福寺]]別当。
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*性我()<1192->:初代別当。真言宗。[[鎌倉・永福寺]]別当を経て1192年(建久3年)勝長寿院別当。恵眼房。
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*定豪(1152-1238)<1199-1220>:真言宗。源延俊の子。1199年(正治1年)勝長寿院別当。1220年(承久2年)鶴岡別当。
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*親慶()<1220-1224>:天台宗寺門派。中山忠親の子。1220年(承久2年)1月21日勝長寿院別当。1224年(元仁1年)退任。
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*良信(1173-1253)<1224-1253>:幕府護持僧。藤原長信の子。忠快の弟子。1224年(元仁1年)平泉総別当。同年8月、勝長寿院別当。1253年(建長5年)死去。大蔵卿法印。
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*最信()<1253-?>:足利義氏の子。1253年(建長5年)5月16日勝長寿院別当。
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*弁覚(生没年不詳)<>:日光山座主23世。日光山中興。関政家の子。隆宣の弟。鶴岡八幡宮供僧。1209年(承元3年)座主就任(1210年(承元4年)とも)。勝長寿院別当を兼務。1240年(仁治1年)日光山光明院を創建。熊野や吉野で修行した山伏という。和田合戦に参戦。日光に熊野修験を伝えたという。1251年(建長3年)8月4日死去。但馬法印。(なし)
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*尊家(?-1273)<>:日光山座主25世。藤原顕家の子。本覚院門跡となる。鎌倉幕府執権の北条時頼の招きで1253年(建長5年)10月、日光山座主に就任し、鎌倉の勝長寿院別当も兼務。竹林坊静厳の弟子。1273年(文永10年)11月12日死去。(なし)
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*源恵(1244-1307)<?-1307>:日光山座主26世。天台宗。天台座主。九条家出身。4代将軍九条頼経の子。1244年(寛元2年)生。尊家と本覚院門跡最源の弟子。1274年(文永11年)日光山座主。勝長寿院別当・本覚院門跡を兼務。1307年(徳治2年)10月20日死去。64歳。
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*仁澄法親王(?-1318)<1307->:日光山座主27世。天台宗。天台座主。7代将軍惟康親王の王子。源恵の弟子。1307年(徳治2年)勝長寿院別当。1308年(延慶1年)4月、日光山座主。本覚院門跡を兼務。1316年(正和5年)6月29日天台座主。
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*道潤(1266-1329)<?-1329>:日光山座主29世。天台座主。関白左大臣二条良実の子。1266年(文永3年)生。源恵の弟子。1323年(元亨3年)日光山座主。在職8年という。1302年(乾元1年)5月、天台座主。1329年(元徳1年)死去。竹林院(比叡山?)・本覚院門跡でもある。
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*聖慧(生没年不詳)<1330-1333>:日光山座主30世。天台座主。7代将軍惟康親王の王子。仁澄の弟か。久明親王猶子。仁慧法親王の弟子。親源の弟子とも。道瑜に法を学ぶ。1330年(元徳2年)日光山座主・勝長寿院別当。本覚院を兼務。鎌倉幕府に親しい立場だったため幕府の崩壊と共に1333年(元弘3年/正慶2年)勝長寿院別当退任。1334年(建武1年)日光山座主を退任。後醍醐天皇の吉野潜幸を受け、1337年(延元2年/建武4年)日光山座主に再任。1338年(延元3年/暦応1年)天台座主。聖恵。
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*守慧法親王(?-1378)<>:日光山座主32世。9代将軍守邦親王の王子。聖慧の弟子。1346年(貞和2年)日光山座主。33年在職。本覚院門跡・深大寺別当を兼務。1378年(永和4年)2月9日死去。守恵。
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*満守(生没年不詳)<>:日光山座主35世。鎌倉公方2代足利氏満の子。足利義満の猶子。俗名を満秀もしくは満季という。聖如の弟子。1385年(元中2年/至徳2年)日光山座主。在職6年。本覚院門跡・勝長寿院別当を兼務。
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*慈玄(生没年不詳)<>:日光山座主36世。一条家出身。関白一条経嗣の子。4代将軍足利義持の猶子。満守の弟子。1390年(元中7年/明徳1年)日光山座主。本覚院門跡・勝長寿院別当を兼務。持玄とも。
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*昌潤(生没年不詳)<>:足利家出身。関東公方足利持氏の子。1455年(康正1年)日光山権別当。鎌倉勝長寿院別当を兼務。鎌倉を出奔。成潤とも。
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2023年1月15日 (日) 時点における版

勝長寿院の通称「大御堂」の名前が残る「大御堂橋」

勝長寿院(しょうちょうじゅいん)は、神奈川県鎌倉市雪ノ下(相模国鎌倉郡鎌倉)にあった源家ゆかりの寺院。本尊は阿弥陀如来源頼朝が鎌倉に創建した最初の寺院で、父源義朝の菩提寺。源頼朝が鎌倉時代初期に造営した三大寺社(鶴岡八幡宮永福寺、勝長寿院)の一つ。日光山満願寺座主光明院を兼務。関東祈祷所大御堂南御堂。山号は阿弥陀山。 (参考:同名寺院大御堂

目次

歴史

  • 1185年(文治1年)9月3日:源義朝と鎌田正清の首を埋葬。
  • 1185年(文治1年)10月24日:落慶。以後、代々の将軍が年末に参詣。
  • 室町時代:関東公方足利家が重視した。
  • 1540年(天文9年)頃:このころまでは現存していたが江戸時代初期には廃絶していた。

跡地には石碑などが建つが、一帯は住宅地となっており、本格的な発掘調査は行われていない。 横須賀浄楽寺に寺号を移したという伝承もある。

(『国史大辞典』、『日本歴史地名大系』)

伽藍

  • 本堂:
  • 弥勒堂:
  • 五仏堂:本尊は五大尊。源実朝の供養のため建立。
  • 新御堂:勝長寿院奥殿。北条政子が建立。
  • 御所:北条政子が造営。
  • 持仏堂:御所に付属。廊の御堂。源実朝の持仏を祀ったという。
  • 三重塔:源実朝十三回忌で建立。
  • 経蔵:
  • 源義朝首塚:
  • 鎌田正清首塚:
  • 源実朝法華堂
  • 北条政子法華堂

組織

勝長寿院別当

両法華堂別当

源実朝法華堂と北条政子法華堂を管轄した。

  • 良助()<1417->:1417年6月19日別当。
  • 澄助()<>:
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%8B%9D%E9%95%B7%E5%AF%BF%E9%99%A2」より作成

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