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南洋神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2018年10月7日 (日) 時点における版
南洋神社 なんよう じんじゃ | |
南洋神社鎮座跡地遥拝殿(越谷・久伊豆神社境内) | |
概要 | 日本領南洋諸島の総鎮守。 |
奉斎 | 天照大神 (土岐昌訓論文) |
所在地 | (南洋群島パラオ諸島コロール島アルミズ高地) |
所在地(旧国郡) | |
所属(現在) | |
格式など | 官幣大社 |
関連記事 | 植民地創建神社 |
目次 |
概要
南洋神社(なんよう・じんじゃ)は日本領南洋群島パラオ諸島コロール島アルミズ高地にあった伊勢信仰の神社。祭神は天照大神。官幣大社。植民地創建神社。日本領南洋諸島の総鎮守。廃絶。
歴史
創建
南洋群島総鎮守の創建は何度か計画されたが、実現しなかった。1940年(昭和15年)の紀元2600年記念として本格化。2月11日に昭和天皇から祭神を天照大神とする南洋神社を創立し、社格を官幣大社とする旨が示された(2月13日・拓務省告示第1号。中島論文で天皇の意思表明を2月1日とし、祭神社格が決定したのが2月13日とする根拠は不明)。南洋庁に臨時造営事務所が設置され、国費と奉賛会費で工事を進めた。1940年(昭和15年)11月1日、鎮座祭が行われた。
敗戦
1944年(昭和19年)3月から米軍の空襲にさらされるようになり、同年11月、バベルダオブ島の大和村に仮殿を建立し、遷座した。
1945年(昭和20年)5月17日、空襲の至近弾が御神体不在の南洋神社社殿を襲い、本殿および末社・祭器庫が炎上。敗戦を経て9月11日、米軍の了解を得て、社殿を奉焼した。
11月17日、外務省は関東神宮と共に南洋神社を法的に廃止した(11月22日付・外務省告示第11号)
1946年(昭和21年)1月、大和村の仮殿でも昇神祭を行い、社殿を奉焼した。御神体は米国の許可を得て持ち帰り、宮内省に届けられたという。
また神宝が本土に持ち帰られ、越谷・久伊豆神社境内の南洋神社鎮座跡地遥拝殿に奉安されている。
(中島三千男2004「旧南洋群島の神社跡地調査報告」ほか)
境内
組織
宮司
- 宮地威夫(1886-1955)<>:昭和前期の神道家・神職。宮地厳夫(1847-1918)の子。1886年(明治19年)3月30日生。南洋神社宮司。寒川神社宮司。戦後、神仙道本部初代総裁(宮地水位から数えて三代目)。1955年(昭和30年)4月27日死去。
- 別所猶一()<1943->:1920年(大正9年)、鎮座前の明治神宮出仕となり、内務省内の明治神宮仮社務所に務める。護王神社宮司。1943年(昭和18年)南洋神社宮司。鵜戸神宮宮司。
画像
参考文献
- 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』