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南洲神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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南洲神社(なんしゅう・じんじゃ)は、鹿児島県鹿児島市上竜尾町にある招魂社霊社。祭神は西郷隆盛と西南戦争の賊軍殉難者6800柱。無格社。薩摩・浄光明寺跡地にある。賊軍殉難者奉斎招魂社幕末維新期人物旧跡南洲祠堂

歴史

1877年(明治10年)9月24日の城山の陥落で西南戦争は終結。県知事岩村通俊は西郷隆盛軍の戦没者の遺体を浄光明寺墓地と不断光院墓地に埋葬した。1879年(明治12年)、西郷軍の生存者56人が城山周辺の遺体を浄光明寺墓地に埋葬し、1880年(明治13年)1月1日、参拝所を設けた。1883年(明治16年)各戦跡にある遺体を浄光明寺墓地に集めて改葬。 1913年(大正2年)、鹿児島市長を発起人委員長とし参拝所改築を発願。 宮内省技師木子幸三郎が設計し、京都の三上吉兵衛が施工した。 1914年(大正3年)10月24日、竣工遷座奉告祭。南洲祠堂と称した。 1922年(大正11年)6月28日、南洲神社と改称。無格社。 1927年(昭和2年)9月桐野利秋ら戦没者を祀る境内社を創建した。 1945年(昭和20年)7月31日、戦災で焼失。 1950年(昭和25年)9月、仮殿造営。 1957年(昭和32年)9月、本殿再建。 1970年(昭和45年)12月、拝殿竣工。 (『鹿児島の史蹟』、『南洲翁逸話』、鹿児島県神社庁ウェブサイト)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%8D%97%E6%B4%B2%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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