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古代アンデスの宗教

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年5月5日 (火)

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'''インカの宗教'''
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== 概要 ==
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'''アンデス文明の宗教'''。インカ帝国の宗教。
== 一覧 ==
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*[[クスコ]] 首都
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*[[アスペロ神殿]] アンデス最古級の神殿跡とみられる遺構が発見されている。
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*[[ラスアルダス神殿]] アンデス最古級の神殿跡とみられる遺構が発見されている。
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*[[カラルスーペ]] 同上?
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===ミト期===
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*[[コトシュ神殿]] チャビン文化を遡る、何層にも重なった神殿遺跡。日本の調査団が発掘。
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===チャビン文化(-前500)===
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*[[チャビンデワンタル]]:テーヨが調査。ここまで大型の石造建築は別系統のインカやティアワナコを除いて見つかっていないという。巡礼地として栄えたらしい。
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**[[チャビンデワンタルの旧神殿]]
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**[[チャビンデワンタルの新神殿]]
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*[[クンツルワシ神殿]] チャビンデワンタルより簡素な神殿
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*[[パコパンパ神殿]]
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*[[パレドーネス神殿]] 日本人が発見
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*[[セロブランコ神殿]] ネベンニヤ河谷
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*[[プンクリ神殿]] セロブランコ神殿の東5キロ。テーヨが発見。
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*[[セチン神殿]] カスマ河谷。テーヨが発掘。多数の石像が発見された。この時代、海岸では他に石像は作られておらず例外的な遺跡。
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*[[モヘッケ神殿]] カスマ河谷。泥の上塗りに刻まれた彫刻。
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===開花期===
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====モチーカ文明(前300-紀元500、北部)====
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神殿はピラミッド状の建物の上に建てられた。二つ1組とすることも多かった。中空のピラミッドも築かれた(中空の底部に神殿があったと推定される)。このピラミッド状建造物は現在、ワカもしくはヘンチーレスと呼ばれる。住居跡のある遺跡では必ずワカが発見されている。ワカの中やその付近では、ヤーマや人骨が見つかり、供儀が行われていたという。
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*[[パンパグランデのワカ]]
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*[[太陽のワカ]] ツルヒーヨ近郊にある。高さ23mで、228m×138mの基底を持つ海岸地区では最大規模のワカ。1億3000万個のレンガが使われたという。
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*[[月のワカ]] 太陽のワカと1組。80m×60mの基底で、高さ21mと太陽のワカより小さい。頂上には数室の神殿の跡がある。
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====パラカス・ナスカ文明(前300-南部)====
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ナスカ文化では、権力の集中はなく、大規模な神殿やピラミッドは作られなかった。祖先崇拝が行なわれた。色彩豊かな土器が作られた。
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*[[パラカスネクロポリス]] 大規模な墳墓群。アンデス地域で同様のものはないという。一つの墓から100体以上のミイラが発見され、多いものでは429体に及んだという。
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*[[木のストーンヘンジ]] カワチにある遺跡。ラ・エスタケリーア。ワランゴとアルガローボの幹が列をなして立てられている。目的は不明。記録もない。
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*[[ナスカの地上絵]]
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*[[アサバの地上絵]] アサバはナスカの600km南にあり、ナスカとは文化的背景が全く異なるが、同様の絵がある。
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====ティアワナコ文明(紀元0-1000、チチカカ湖)====
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*[[チチカカ湖]] 高原地帯(プーナ)で最大の湖。標高3800m。
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*[[ティアワナコ神殿]] 長さ1000m、幅450mに及ぶ大規模な遺跡群。石造建築には優れた浮彫がある。巡礼地。
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*[[ワリ神殿]] ワリの遺跡のほとんどは住居で、神殿都市とは言えない。ただ神殿の石は磨かれており、住居の石材とは異なる。
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*[[パチャカマ神殿]] パチャカマはティアワナコ文化の拠点となった都市。
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*[[ウィルカワイン神殿]] 構造は1500年以上前に建てられたチャビンデワンタル神殿に似ているが、ティアワナコ文化の影響を受けている。
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*ピキリャクタ ワリに匹敵する遺跡。
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*プカラ
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===大都市形成期===
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====チムー王国(1000?-1450)====
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13世紀から沿岸地域を南北1000kmにわたり支配。高度な黄金彫刻の加工技術を持った。王のミイラを祀る儀式や人間を生け贄を捧げる儀式が行われていた。
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首都南郊のパンパラクルス遺跡から生け贄とされた200人以上の子供の遺体が出土した。
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西暦1400年頃からエルニーニョ現象が頻発した。そのため漁業が不振となり、数十年続いた大雨で、土で出来た王宮や灌漑路が壊れて王国は衰退。そこにインカ帝国が侵攻し滅亡した。
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*[[チャンチャン]]:首都。18km四方に及ぶ大規模な都市遺跡。
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*[[エルプルガトリオ]]
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*[[パカトナムー]]
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====クイスマンク王国====
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リマック河谷のカハマルキーヤが首都であったと推定される。王の名などは記録にない。チャンカイ文化、パチャカマ文化、リマ文化の三つの地域に分かれていた。
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*リマ文化
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**カハマルキーヤ 帝国最大の都市で、首都と推定される。泥の神殿がある。スペイン侵略以前の早くに廃絶。廃墟となった後のものを除いて、墓が全くないという。記録は一切ない。
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*チャンカイ文化
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**[[ベスキーヨ神殿]] チャンカイ文化で唯一明らかな神殿遺跡。
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**セロツルニダ
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**バーニョデボサ
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*パチャカマ文化
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**[[パチャカマ神殿]] パチャカマはスペイン侵略まで栄えた神殿都市。「パチャカマ」とは「天地の創造者」を意味する。インカ帝国時代にも各地から人々が訪れた巡礼地だった。神殿はピラミッドの上にあり、金銀の像があった。インカ帝国は信仰はそのまま認めたが、インカの太陽の神殿と月の神殿を造った。1533年、スペイン人が金銀を奪い、火を放ち廃墟となった。
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====チゥキマンク王国====
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不詳。マラ、チルカ、カニエテの三つの河谷を治めたという。
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====チンチャ王国====
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チンチャ王国はナスカ文化の継承者。チンチャ、ビスコ、イカ、ナスカの四つの河谷を治めた。
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===インカ時代(1200-1532)===
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====インカ帝国====
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*[[クスコ]]:首都
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**[[クスコの太陽の神殿]] 歴代皇帝のミイラも奉安されていたという。スペイン人に破壊され、修道院となった。地方都市にも建てられた。
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**[[クスコのピラコチャ神殿]] 最高神を祀る神殿。
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**クスコのワカ 初代皇帝の弟アヤル・アウカが石となったワカ。
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**ワナカウリ山のワカ 初代皇帝の弟アヤル・ウチゥが石となったワカ。
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**タンブトコ 初代皇帝の弟アヤル・カチが剛気な性格だったため兄弟たちに封じ込められた。
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*太陽の島 初代皇帝らが生まれたチチカカ湖の島
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*[[コチャのピラコチャ神殿]] アンデスの建造物の優作という。
*[[マチュピチュ]]
*[[マチュピチュ]]
**[[マチュピチュの太陽の神殿]]
**[[マチュピチュの太陽の神殿]]
**[[マチュピチュの月の神殿]]
**[[マチュピチュの月の神殿]]
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*パチャカマ
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**[[パチャカマの太陽の神殿]]
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**[[パチャカマの月の神殿]]
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====チャンカ王国====
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インカ帝国と対立した国
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==参考文献==
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*泉靖一、1959『インカ帝国』岩波新書
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など
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[[category:ペルー共和国|*]]

2020年5月5日 (火) 時点における最新版

目次

概要

古代中南米の宗教

アンデス文明の宗教。インカ帝国の宗教。

一覧


ミト期

  • コトシュ神殿 チャビン文化を遡る、何層にも重なった神殿遺跡。日本の調査団が発掘。

チャビン文化(-前500)

開花期

モチーカ文明(前300-紀元500、北部)

神殿はピラミッド状の建物の上に建てられた。二つ1組とすることも多かった。中空のピラミッドも築かれた(中空の底部に神殿があったと推定される)。このピラミッド状建造物は現在、ワカもしくはヘンチーレスと呼ばれる。住居跡のある遺跡では必ずワカが発見されている。ワカの中やその付近では、ヤーマや人骨が見つかり、供儀が行われていたという。

  • パンパグランデのワカ
  • 太陽のワカ ツルヒーヨ近郊にある。高さ23mで、228m×138mの基底を持つ海岸地区では最大規模のワカ。1億3000万個のレンガが使われたという。
  • 月のワカ 太陽のワカと1組。80m×60mの基底で、高さ21mと太陽のワカより小さい。頂上には数室の神殿の跡がある。

パラカス・ナスカ文明(前300-南部)

ナスカ文化では、権力の集中はなく、大規模な神殿やピラミッドは作られなかった。祖先崇拝が行なわれた。色彩豊かな土器が作られた。

  • パラカスネクロポリス 大規模な墳墓群。アンデス地域で同様のものはないという。一つの墓から100体以上のミイラが発見され、多いものでは429体に及んだという。
  • 木のストーンヘンジ カワチにある遺跡。ラ・エスタケリーア。ワランゴとアルガローボの幹が列をなして立てられている。目的は不明。記録もない。
  • ナスカの地上絵
  • アサバの地上絵 アサバはナスカの600km南にあり、ナスカとは文化的背景が全く異なるが、同様の絵がある。

ティアワナコ文明(紀元0-1000、チチカカ湖)

  • チチカカ湖 高原地帯(プーナ)で最大の湖。標高3800m。
  • ティアワナコ神殿 長さ1000m、幅450mに及ぶ大規模な遺跡群。石造建築には優れた浮彫がある。巡礼地。
  • ワリ神殿 ワリの遺跡のほとんどは住居で、神殿都市とは言えない。ただ神殿の石は磨かれており、住居の石材とは異なる。
  • パチャカマ神殿 パチャカマはティアワナコ文化の拠点となった都市。
  • ウィルカワイン神殿 構造は1500年以上前に建てられたチャビンデワンタル神殿に似ているが、ティアワナコ文化の影響を受けている。
  • ピキリャクタ ワリに匹敵する遺跡。
  • プカラ

大都市形成期

チムー王国(1000?-1450)

13世紀から沿岸地域を南北1000kmにわたり支配。高度な黄金彫刻の加工技術を持った。王のミイラを祀る儀式や人間を生け贄を捧げる儀式が行われていた。 首都南郊のパンパラクルス遺跡から生け贄とされた200人以上の子供の遺体が出土した。 西暦1400年頃からエルニーニョ現象が頻発した。そのため漁業が不振となり、数十年続いた大雨で、土で出来た王宮や灌漑路が壊れて王国は衰退。そこにインカ帝国が侵攻し滅亡した。

クイスマンク王国

リマック河谷のカハマルキーヤが首都であったと推定される。王の名などは記録にない。チャンカイ文化、パチャカマ文化、リマ文化の三つの地域に分かれていた。

  • リマ文化
    • カハマルキーヤ 帝国最大の都市で、首都と推定される。泥の神殿がある。スペイン侵略以前の早くに廃絶。廃墟となった後のものを除いて、墓が全くないという。記録は一切ない。
  • チャンカイ文化
    • ベスキーヨ神殿 チャンカイ文化で唯一明らかな神殿遺跡。
    • セロツルニダ
    • バーニョデボサ
  • パチャカマ文化
    • パチャカマ神殿 パチャカマはスペイン侵略まで栄えた神殿都市。「パチャカマ」とは「天地の創造者」を意味する。インカ帝国時代にも各地から人々が訪れた巡礼地だった。神殿はピラミッドの上にあり、金銀の像があった。インカ帝国は信仰はそのまま認めたが、インカの太陽の神殿と月の神殿を造った。1533年、スペイン人が金銀を奪い、火を放ち廃墟となった。


チゥキマンク王国

不詳。マラ、チルカ、カニエテの三つの河谷を治めたという。

チンチャ王国

チンチャ王国はナスカ文化の継承者。チンチャ、ビスコ、イカ、ナスカの四つの河谷を治めた。

インカ時代(1200-1532)

インカ帝国

チャンカ王国

インカ帝国と対立した国

参考文献

  • 泉靖一、1959『インカ帝国』岩波新書

など

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%AE%97%E6%95%99」より作成

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