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四天王寺秋野坊
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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==資料== | ==資料== | ||
*『秋野坊文書』:14点 | *『秋野坊文書』:14点 | ||
+ | *『秋野家旧記』 | ||
+ | *『四天王寺公文所考』 | ||
+ | *『秋野家譜』 | ||
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*大久保素公1936『太子に聴け』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1275230/116] | *大久保素公1936『太子に聴け』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1275230/116] | ||
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*川岸宏教1983「豊臣秀吉と四天王寺:「秋野坊文書」を中心として」『四天王寺国際仏教大学文学部紀要』16 | *川岸宏教1983「豊臣秀吉と四天王寺:「秋野坊文書」を中心として」『四天王寺国際仏教大学文学部紀要』16 | ||
*2000『四天王寺秋野坊文書について:大阪市文化財総合調査報告書22』 | *2000『四天王寺秋野坊文書について:大阪市文化財総合調査報告書22』 | ||
+ | *山崎竜洋2012「近世四天王寺における寺院社会構造」 | ||
*「敷地の沿革」『大原社会問題研究所栞』[https://www.google.co.jp/books/edition/%E5%A4%A7%E5%8E%9F%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%95%8F%E9%A1%8C%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80%E6%A0%9E/0_ntvxtHERIC?hl=ja&gbpv=1&pg=PP19] | *「敷地の沿革」『大原社会問題研究所栞』[https://www.google.co.jp/books/edition/%E5%A4%A7%E5%8E%9F%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%95%8F%E9%A1%8C%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80%E6%A0%9E/0_ntvxtHERIC?hl=ja&gbpv=1&pg=PP19] | ||
*『大阪府全志』[https://www.google.co.jp/books/edition/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E5%85%A8%E5%BF%97/suxX666mMUEC?hl=ja&gbpv=1&pg=PP747] | *『大阪府全志』[https://www.google.co.jp/books/edition/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E5%85%A8%E5%BF%97/suxX666mMUEC?hl=ja&gbpv=1&pg=PP747] |
2021年9月20日 (月) 時点における版
秋野坊は大阪府大阪市天王寺区伶人町にあった天台宗寺院。廃絶。四天王寺子院で、四天王寺執行職(公文所職)を世襲した。小野妹子の末裔という(慊堂日暦)。四天王寺関連旧跡
『大阪府全志』には「四天王寺の建立あるに及び、太子の遵臣小野妹子、詔を奉じて同寺の守護職に補せられ、其の子中納言毛野、孫中納言大錦上毛人、曾孫大夫文人に至る迄は、朝廷に官して当寺の守護を兼ねたりしが、文人は勅に依りて薙髪し専ら守護の任に当たりしより、一坊を設けて居りしもの是れ当坊の初めなり。小野院秋野坊と号し、爾来子孫連綿として相継ぎ、公文所三綱職と称し」とある。
南北朝時代には存在していた。北朝からは四天王寺の納所職として認められ、南朝からは1340年(興国1年/暦応3年)、念仏三昧院領新開庄領主を安堵されている。1365年(正平20年/貞治4年)安居神社別当職が1期に限り秋野坊に譲られた。 1510年(永正7年)には地震で被災した伽藍の修復のための諸国募財を行っている。妻帯。50石。四天王寺の西に屋敷があった。1879年(明治12年)3月1日から1890年(明治23年)頃まで、東成郡役所が置かれた(大阪府全志)。
1887年(明治20年)頃に廃絶した(大原社会問題研究所栞)。
1906年(明治39年)、大阪養老院(社会福祉法人聖徳会大阪老人ホーム)創設者の岩田民次郎が四天王寺旧秋野坊を借りて「大阪養老院少年部」を設置。1911年(明治44年)11月29日、旧秋野坊旧蔵の太子自作と伝える小型の摂政太子坐像を阿倍野の大阪養老院に迎え、翌1912年(大正1年)、秋野坊太子殿も大阪毎日新聞社社長本山彦一の寄進で移築して聖徳殿と名付けた。また左甚五郎作の太子像もあった。1927年(昭和2年)大阪養老院の火災で、左甚五郎作の像は焼失した。太子自作像は松原市に移転した聖徳会大阪老人ホームに現存する。
1920年(大正9年)、秋野坊跡地に大原社会問題研究所が置かれた。
資料
- 『秋野坊文書』:14点
- 『秋野家旧記』
- 『四天王寺公文所考』
- 『秋野家譜』