ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

坂井・専光寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年6月5日 (月)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
 
(間の6版分が非表示)
1行: 1行:
-
'''専光寺'''(せんこうじ)は、越前国阪井郡にあった[[浄土真宗]]寺院。福井県あわら市角屋。越前国の[[高田門徒]]の中心的寺院の一つだった。廃絶。'''新郷専光寺'''。後身寺院として[[江沼・専光寺]](石川県加賀市)、松樹院(福井県坂井市三国町嵩)、安養院(福井県あわら市二面)がある。(参考:同名寺院[[専光寺]])
+
'''専光寺'''(せんこうじ)は、越前国坂井郡(福井県あわら市角屋)にあった[[浄土真宗]]寺院。越前国の[[高田門徒]]([[真宗高田派]])の中心的寺院の一つだった。
 +
戦国時代、[[専修寺]]継承争いで[[真智]]を擁立した越前四大寺([[越前・勝鬘寺|勝鬘寺]]・[[越前中川・西光寺|西光寺]]・[[専西寺]]・専光寺)の一つ。
 +
廃絶。'''新郷専光寺'''。後身寺院として[[江沼・専光寺]](石川県加賀市)、松樹院(福井県坂井市三国町嵩)、安養院(福井県あわら市二面)がある。(参考:同名寺院[[専光寺]])
== 歴史 ==
== 歴史 ==
5行: 7行:
のち角屋に移転。越前国の[[高田門徒]]の中心的寺院の一つとなった。
のち角屋に移転。越前国の[[高田門徒]]の中心的寺院の一つとなった。
戦国時代、[[専修寺]]の住職継承争いで、応真を立てる伊勢派に対して、[[真智]]を擁立する越前派四大寺の一つとなった。
戦国時代、[[専修寺]]の住職継承争いで、応真を立てる伊勢派に対して、[[真智]]を擁立する越前派四大寺の一つとなった。
-
この時、応真派の松樹院が分立した。[[越前・専修寺]]の没落と共に衰退した。
+
この時、応真派の松樹院が分立した。また大永5年(1526)江沼郡塔尾に江沼専光寺が分立した。
 +
[[熊坂・専修寺]]の没落と共に衰退した。
あわら市二面の安養院が後身という。
あわら市二面の安養院が後身という。
(日本歴史地名大系)
(日本歴史地名大系)
[[category:福井県]]
[[category:福井県]]

2023年6月5日 (月) 時点における最新版

専光寺(せんこうじ)は、越前国坂井郡(福井県あわら市角屋)にあった浄土真宗寺院。越前国の高田門徒真宗高田派)の中心的寺院の一つだった。 戦国時代、専修寺継承争いで真智を擁立した越前四大寺(勝鬘寺西光寺専西寺・専光寺)の一つ。 廃絶。新郷専光寺。後身寺院として江沼・専光寺(石川県加賀市)、松樹院(福井県坂井市三国町嵩)、安養院(福井県あわら市二面)がある。(参考:同名寺院専光寺

歴史

坂井郡春近郷松木村(福井県坂井市)にあった輪興寺が起源。願明が専修寺3世顕智に帰依して専光寺と改称。 のち角屋に移転。越前国の高田門徒の中心的寺院の一つとなった。 戦国時代、専修寺の住職継承争いで、応真を立てる伊勢派に対して、真智を擁立する越前派四大寺の一つとなった。 この時、応真派の松樹院が分立した。また大永5年(1526)江沼郡塔尾に江沼専光寺が分立した。 熊坂・専修寺の没落と共に衰退した。 あわら市二面の安養院が後身という。 (日本歴史地名大系)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%9D%82%E4%BA%95%E3%83%BB%E5%B0%82%E5%85%89%E5%AF%BA」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール