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大威徳寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年8月25日 (土)
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- | '''大威徳寺''' | + | '''大威徳寺'''(だいいとくじ)は、大阪府岸和田市大沢町牛滝町にある[[天台宗]]寺院。[[葛城山]]の[[修験道]]霊場の一角を占め、[[葛城二十八経塚]]の第10宿とされる。本尊は[[大威徳明王]]・[[不動明王]]・[[阿弥陀如来]]。元は[[真言宗]]と天台宗の兼学だったが現在は[[天台宗延暦寺派]]。[[修験道]][[当山派]]の[[正大先達]]の一つ。'''牛瀧山'''(牛滝山)の山号から'''牛瀧寺'''・'''牛瀧山寺'''の通称がある。(参考:同名寺院[[威徳寺]]) |
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+ | 役小角の創建。真言宗[[空海]]や天台宗恵亮([[円仁]]の弟子)が修行したという。 | ||
+ | 江戸時代には40坊があり、真言宗と天台宗に分かれていた。真言宗は本坊方と称し、[[高野山無量寿院]]を本寺とした。本坊の他24寺があった。天台宗は刻屋方と称し、[[輪王寺門跡]]を本寺とし、17寺があった。1668年(寛文8年)が寺内の真言宗と天台宗の間で争論が起こっている。1912年(大正1年)、本坊方が改宗して天台宗に統一された。(日本歴史地名大系) | ||
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+ | == 伽藍 == | ||
+ | *本堂: | ||
+ | *多宝塔:1515年(永正12年)頃の建立。 | ||
+ | *大師堂:[[空海]]・[[阿弥陀如来]]・天台大師([[智顗]]?)を祀る。 | ||
+ | *梵字岩:[[葛城二十八経塚]]の第10宿の経塚がこの岩という。 | ||
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+ | *三の滝:恵亮が大威徳尊を感得したところという。 | ||
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+ | *護摩堂:『和漢三才図会』に記載があるが不詳。 | ||
+ | *高座石:『和漢三才図会』に記載があるが不詳。 | ||
+ | *風穴:『和漢三才図会』に記載があるが不詳。 | ||
+ | *求聞持堂:『和漢三才図会』に記載があるが不詳。 | ||
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2018年8月25日 (土) 時点における最新版
大威徳寺(だいいとくじ)は、大阪府岸和田市大沢町牛滝町にある天台宗寺院。葛城山の修験道霊場の一角を占め、葛城二十八経塚の第10宿とされる。本尊は大威徳明王・不動明王・阿弥陀如来。元は真言宗と天台宗の兼学だったが現在は天台宗延暦寺派。修験道当山派の正大先達の一つ。牛瀧山(牛滝山)の山号から牛瀧寺・牛瀧山寺の通称がある。(参考:同名寺院威徳寺)
歴史
役小角の創建。真言宗空海や天台宗恵亮(円仁の弟子)が修行したという。 江戸時代には40坊があり、真言宗と天台宗に分かれていた。真言宗は本坊方と称し、高野山無量寿院を本寺とした。本坊の他24寺があった。天台宗は刻屋方と称し、輪王寺門跡を本寺とし、17寺があった。1668年(寛文8年)が寺内の真言宗と天台宗の間で争論が起こっている。1912年(大正1年)、本坊方が改宗して天台宗に統一された。(日本歴史地名大系)
伽藍
- 本堂:
- 多宝塔:1515年(永正12年)頃の建立。
- 大師堂:空海・阿弥陀如来・天台大師(智顗?)を祀る。
- 梵字岩:葛城二十八経塚の第10宿の経塚がこの岩という。
- 一の滝:
- 二の滝:不動明王を祀るか。
- 三の滝:恵亮が大威徳尊を感得したところという。
- 護摩堂:『和漢三才図会』に記載があるが不詳。
- 高座石:『和漢三才図会』に記載があるが不詳。
- 風穴:『和漢三才図会』に記載があるが不詳。
- 求聞持堂:『和漢三才図会』に記載があるが不詳。