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天台宗

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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(?天台宗年表)
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==天台宗年表==
==天台宗年表==
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t606年(推古14年):聖徳太子が『法華経』の講義を行う
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*606年(推古14年):[[聖徳太子]]が『[[法華経]]』の講義を行う
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615年(推古23年):この頃、聖徳太子の『法華経義疏』完成
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*615年(推古23年):この頃、聖徳太子の『法華経義疏』完成
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785年(延暦4年)7月:最澄、比叡山に草庵を建てる
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*785年(延暦4年)7月:[[最澄]]、[[比叡山]]に草庵を建てる
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788年(延暦7年):最澄、比叡山寺を創建
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*788年(延暦7年):最澄、比叡山寺を創建
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802年(延暦21年):最澄、高尾山寺で法華会を開く。
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*802年(延暦21年):最澄、[[高雄山寺]]で法華会を開く。
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804年(延暦23年):最澄入唐。空海も同じ。
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*804年(延暦23年):最澄入唐。[[空海]]も同じ。
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805年(延暦24年):最澄帰国。7月『台州越州将来録』。8月、最澄、殿上で悔過読経。
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*805年(延暦24年):最澄帰国。7月『台州越州将来録』。8月、最澄、殿上で悔過読経。
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806年(大同1年):最澄、日本天台宗を開く。
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*806年(大同1年):最澄、日本天台宗を開く。
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818年(弘仁9年):最澄、『六条式』『八条式』『守護国界章』
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*818年(弘仁9年):最澄、『六条式』『八条式』『守護国界章』
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819年(弘仁10年)3月:最澄、比叡山に大乗戒壇の設置を請願。
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*819年(弘仁10年)3月:最澄、比叡山に大乗戒壇の設置を請願。
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820年(弘仁11年)2月:『顕戒論』を献上
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*820年(弘仁11年)2月:『顕戒論』を献上
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822年(弘仁13年)6月:最澄死去。大乗戒壇設立の許可。
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*822年(弘仁13年)6月:最澄死去。大乗戒壇設立の許可。
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823年(弘仁14年)2月:比叡山寺を延暦寺と改める
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*823年(弘仁14年)2月:比叡山寺を[[延暦寺]]と改める
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824年(天長1年)6月:義真、天台座主となる
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*824年(天長1年)6月:義真、天台座主となる
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827年(天長4年)5月:延暦寺戒壇院建立
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*827年(天長4年)5月:延暦寺戒壇院建立
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838年(承和5年):円仁、揚州に入る
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*838年(承和5年):[[円仁]]、揚州に入る
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848年(嘉祥1年):円仁、帰国
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*848年(嘉祥1年):円仁、帰国
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850年(嘉祥3年)2月:円仁、仁明天皇のために仁寿殿で文殊八字法を行う
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*850年(嘉祥3年)2月:円仁、仁明天皇のために仁寿殿で文殊八字法を行う
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851年(仁寿1年)8月:円仁、常行三昧を行う
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*851年(仁寿1年)8月:円仁、常行三昧を行う
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853年(仁寿3年)7月:円珍、入唐。
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*853年(仁寿3年)7月:[[円珍]]、入唐。
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854年(斉衡1年)4月:円仁、天台座主
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*854年(斉衡1年)4月:円仁、天台座主
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858年(天安2年):円珍、帰国
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*858年(天安2年):円珍、帰国
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864年(貞観6年)1月:円仁死去
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866年(貞観8年)6月:「延暦寺禁制四ケ条」
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*866年(貞観8年)6月:「延暦寺禁制四ケ条」
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866年(貞観8年)7月:最澄に「伝教大師」号、円仁に「慈覚大師」号が下賜される。
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*866年(貞観8年)7月:最澄に「伝教大師」号、円仁に「慈覚大師」号が下賜される。
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868年(貞観10年)6月:円珍、天台座主となる
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*868年(貞観10年)6月:円珍、天台座主となる
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879年(元慶3年)4月:円珍、清涼殿で修法
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*879年(元慶3年)4月:円珍、清涼殿で修法
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886年(仁和2年)10月:円珍、紫宸殿で修法
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*886年(仁和2年)10月:円珍、紫宸殿で修法
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894年(寛平6年)8月:延暦寺西塔の常行三昧堂で不断念仏が始まる
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*894年(寛平6年)8月:延暦寺[[西塔]]の常行三昧堂で不断念仏が始まる
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902年(延喜2年)11月:『天台宗延暦寺座主円珍和尚伝』
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*902年(延喜2年)11月:『天台宗延暦寺座主円珍和尚伝』
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927年(延長5年)12月:円珍に「智証大師」号下賜
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*927年(延長5年)12月:円珍に「智証大師」号下賜
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938年(天慶1年):空也、入京
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*938年(天慶1年):[[空也]]、入京
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940年(天慶3年):平将門の乱、藤原純友の乱の平定祈願のため各寺に祈祷を命じる。比叡山も応じる
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*940年(天慶3年):[[平将門]]の乱、藤原純友の乱の平定祈願のため各寺に祈祷を命じる。比叡山も応じる
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941年(天慶4年)1月:延暦寺惣持院焼失
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*941年(天慶4年)1月:延暦寺惣持院焼失
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948年(天暦2年)4月:空也延暦寺で受戒
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*948年(天暦2年)4月:空也延暦寺で受戒
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949年(天暦3年)1月:延暦寺中堂焼失
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*949年(天暦3年)1月:延暦寺中堂焼失
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954年(天暦8年)10月:藤原師輔、横川に法華三昧堂を建て良源に寄進
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*954年(天暦8年)10月:藤原師輔、[[横川]]に法華三昧堂を建て良源に寄進
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954年(天暦8年)12月:良源、法華八講を行う
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*954年(天暦8年)12月:良源、法華八講を行う
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957年(天徳1年)5月:良源、初めて七仏薬師法を行う
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*957年(天徳1年)5月:良源、初めて七仏薬師法を行う
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963年(応和3年):空也、賀茂の河原で「金字般若経」供養
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*963年(応和3年):空也、賀茂の河原で「金字般若経」供養
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964年(康保1年)3月:天台宗ら、勧学会始める
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*964年(康保1年)3月:天台宗ら、勧学会始める
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966年(康保3年)8月:良源、天台座主
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*966年(康保3年)8月:良源、天台座主
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968年(安和1年)1月:楞厳三昧院で法華三昧、常行三昧を行う
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*968年(安和1年)1月:楞厳三昧院で法華三昧、常行三昧を行う
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968年(安和1年)2月:良源、楞厳三昧院検校となる
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*968年(安和1年)2月:良源、楞厳三昧院検校となる
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970年(天禄1年)7月:良源「二十六箇条制式」
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*970年(天禄1年)7月:良源「二十六箇条制式」
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972年(天禄3年)1月:比叡山横川独立
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*972年(天禄3年)1月:比叡山横川独立
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972年(天禄3年)5月:良源「遺告」
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*972年(天禄3年)5月:良源「遺告」
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972年(天禄3年)9月:空也死去
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*972年(天禄3年)9月:空也死去
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972年(天禄3年):祇園社が日吉大社の末社となる
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*972年(天禄3年):[[祇園社]]が[[日吉大社]]の末社となる
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974年(天延2年)5月:感神院、延暦寺末となる
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*974年(天延2年)5月:[[感神院]]、延暦寺末となる
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==参考文献==
==参考文献==

2015年12月11日 (金) 時点における版

天台宗

目次

概要

天台宗は、中国隋代の僧智顗が立てたとされる、法華経を根本経典とする仏教宗派。

由緒

歴史

制度

信仰

系譜

宗祖・諸師

寺院

流派と教団

  • 天台宗の流派・教団
  • 山門派
  • 寺門派
  • 天台真盛宗
  • 安楽律院
  • 修験道本山派
  • 天台宗の門跡寺院

天台宗年表

  • 606年(推古14年):聖徳太子が『法華経』の講義を行う
  • 615年(推古23年):この頃、聖徳太子の『法華経義疏』完成
  • 785年(延暦4年)7月:最澄比叡山に草庵を建てる
  • 788年(延暦7年):最澄、比叡山寺を創建
  • 802年(延暦21年):最澄、高雄山寺で法華会を開く。
  • 804年(延暦23年):最澄入唐。空海も同じ。
  • 805年(延暦24年):最澄帰国。7月『台州越州将来録』。8月、最澄、殿上で悔過読経。
  • 806年(大同1年):最澄、日本天台宗を開く。
  • 818年(弘仁9年):最澄、『六条式』『八条式』『守護国界章』
  • 819年(弘仁10年)3月:最澄、比叡山に大乗戒壇の設置を請願。
  • 820年(弘仁11年)2月:『顕戒論』を献上
  • 822年(弘仁13年)6月:最澄死去。大乗戒壇設立の許可。
  • 823年(弘仁14年)2月:比叡山寺を延暦寺と改める
  • 824年(天長1年)6月:義真、天台座主となる
  • 827年(天長4年)5月:延暦寺戒壇院建立
  • 838年(承和5年):円仁、揚州に入る
  • 848年(嘉祥1年):円仁、帰国
  • 850年(嘉祥3年)2月:円仁、仁明天皇のために仁寿殿で文殊八字法を行う
  • 851年(仁寿1年)8月:円仁、常行三昧を行う
  • 853年(仁寿3年)7月:円珍、入唐。
  • 854年(斉衡1年)4月:円仁、天台座主
  • 858年(天安2年):円珍、帰国
  • 864年(貞観6年)1月:円仁死去
  • 866年(貞観8年)6月:「延暦寺禁制四ケ条」
  • 866年(貞観8年)7月:最澄に「伝教大師」号、円仁に「慈覚大師」号が下賜される。
  • 868年(貞観10年)6月:円珍、天台座主となる
  • 879年(元慶3年)4月:円珍、清涼殿で修法
  • 886年(仁和2年)10月:円珍、紫宸殿で修法
  • 894年(寛平6年)8月:延暦寺西塔の常行三昧堂で不断念仏が始まる
  • 902年(延喜2年)11月:『天台宗延暦寺座主円珍和尚伝』
  • 927年(延長5年)12月:円珍に「智証大師」号下賜
  • 938年(天慶1年):空也、入京
  • 940年(天慶3年):平将門の乱、藤原純友の乱の平定祈願のため各寺に祈祷を命じる。比叡山も応じる
  • 941年(天慶4年)1月:延暦寺惣持院焼失
  • 948年(天暦2年)4月:空也延暦寺で受戒
  • 949年(天暦3年)1月:延暦寺中堂焼失
  • 954年(天暦8年)10月:藤原師輔、横川に法華三昧堂を建て良源に寄進
  • 954年(天暦8年)12月:良源、法華八講を行う
  • 957年(天徳1年)5月:良源、初めて七仏薬師法を行う
  • 963年(応和3年):空也、賀茂の河原で「金字般若経」供養
  • 964年(康保1年)3月:天台宗ら、勧学会始める
  • 966年(康保3年)8月:良源、天台座主
  • 968年(安和1年)1月:楞厳三昧院で法華三昧、常行三昧を行う
  • 968年(安和1年)2月:良源、楞厳三昧院検校となる
  • 970年(天禄1年)7月:良源「二十六箇条制式」
  • 972年(天禄3年)1月:比叡山横川独立
  • 972年(天禄3年)5月:良源「遺告」
  • 972年(天禄3年)9月:空也死去
  • 972年(天禄3年):祇園社日吉大社の末社となる
  • 974年(天延2年)5月:感神院、延暦寺末となる

参考文献

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%A4%A9%E5%8F%B0%E5%AE%97」より作成

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