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天理・三島神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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[[天理教]]([[天理教系信仰]])教祖[[中山みき]]が嫁いだ庄屋敷村の氏神。[[石上神宮]]、[[三島大社]]、春日大社の分社。祭神は「布留御魂神、大山祇神、天兒屋根命」。文政11年(1828)、隣家から預かった乳児が天然痘にかかったとき、平癒祈願に「百日のはだし詣り」をした氏神(『教祖伝』)というのが当社という。「天理教教祖伝史実校訂本」には春日神社といい、また布留社だとする資料もあるが、明治4年から大正8年まで春日神社と称し、また布留神も祀ることから、いずれも当社のことと思われる。そばに'''鏡池'''という池があった。教祖100年祭にむけて昭和63年、教会本部施設建設のため現在地に遷座した。のち鏡池も埋め立てられた。 | [[天理教]]([[天理教系信仰]])教祖[[中山みき]]が嫁いだ庄屋敷村の氏神。[[石上神宮]]、[[三島大社]]、春日大社の分社。祭神は「布留御魂神、大山祇神、天兒屋根命」。文政11年(1828)、隣家から預かった乳児が天然痘にかかったとき、平癒祈願に「百日のはだし詣り」をした氏神(『教祖伝』)というのが当社という。「天理教教祖伝史実校訂本」には春日神社といい、また布留社だとする資料もあるが、明治4年から大正8年まで春日神社と称し、また布留神も祀ることから、いずれも当社のことと思われる。そばに'''鏡池'''という池があった。教祖100年祭にむけて昭和63年、教会本部施設建設のため現在地に遷座した。のち鏡池も埋め立てられた。 | ||
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2022年12月11日 (日) 時点における版
天理教(天理教系信仰)教祖中山みきが嫁いだ庄屋敷村の氏神。石上神宮、三島大社、春日大社の分社。祭神は「布留御魂神、大山祇神、天兒屋根命」。文政11年(1828)、隣家から預かった乳児が天然痘にかかったとき、平癒祈願に「百日のはだし詣り」をした氏神(『教祖伝』)というのが当社という。「天理教教祖伝史実校訂本」には春日神社といい、また布留社だとする資料もあるが、明治4年から大正8年まで春日神社と称し、また布留神も祀ることから、いずれも当社のことと思われる。そばに鏡池という池があった。教祖100年祭にむけて昭和63年、教会本部施設建設のため現在地に遷座した。のち鏡池も埋め立てられた。