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天理教教会本部神殿
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | 天保9年(1838)10月26日、天理王命は、'''陽気ぐらし'''を人間に伝えるため、[[中山みき]]の身体を「神のやしろ」と定めて降臨。世界たすけの教えを説いた。 | + | *天保9年(1838)10月26日、天理王命は、'''陽気ぐらし'''を人間に伝えるため、[[中山みき]]の身体を「神のやしろ」と定めて降臨。世界たすけの教えを説いた。 |
+ | *明治44年4月:仮神殿に遷座。大正普請の始まり。 | ||
+ | *明治44年5月:つとめ場所を鑵子山に移築。神殿用地の整地作業。 | ||
+ | *10月:起工式 | ||
+ | *11月:地盤工事 | ||
+ | *大正1年11月:上棟式 | ||
+ | *大正2年12月:神殿と北礼拝場が竣工 | ||
+ | *大正3年4月:教祖殿(現祖霊殿)、祖霊殿(現豊田山舎)竣工。「大正普請」一区切り。 | ||
==祭典== | ==祭典== |
2022年4月4日 (月) 時点における版
天理教教会本部神殿は、奈良県天理市にある天理教教会本部の神殿。親神とも呼ばれる天理王命(てんりおうのみこと)を祀る。人類発祥地とされるおぢばの直上にある。 神殿の中心にはかんろだいが据えられている。祭典の時にはかぐらづとめが行われる。 神殿は「四方正面」とされ、東西南北に礼拝場が設けられている。教祖殿や祖霊殿と回廊でつながっている。
目次 |
歴史
- 天保9年(1838)10月26日、天理王命は、陽気ぐらしを人間に伝えるため、中山みきの身体を「神のやしろ」と定めて降臨。世界たすけの教えを説いた。
- 明治44年4月:仮神殿に遷座。大正普請の始まり。
- 明治44年5月:つとめ場所を鑵子山に移築。神殿用地の整地作業。
- 10月:起工式
- 11月:地盤工事
- 大正1年11月:上棟式
- 大正2年12月:神殿と北礼拝場が竣工
- 大正3年4月:教祖殿(現祖霊殿)、祖霊殿(現豊田山舎)竣工。「大正普請」一区切り。
祭典
年に2度の大祭があり、中山みきが死去した1月26日に春季大祭、天理王命が出現した10月26日に秋季大祭が行われる。また1月1日に元旦祭、4月18日に教祖誕生祭、毎月26日に月次祭がある他、毎日の朝づとめ、夕づとめが行われる。
社殿
- 北礼拝場:大正2年(1913)竣工。
- 南礼拝場:昭和9年(1934)竣工。
- 東西礼拝場:昭和59年(1984)竣工。
かんろだい
沿革
明治6年、教祖が飯降伊蔵に命じて、かんろだいの雛型を製作。高さ約6尺、直径約3寸の六角の棒の上下に、直径約1尺2寸、厚さ約3寸の六角板が付いたもの。明治8年、ぢば定めの後、元のぢばに据えられ、礼拝の目標(めど)となった。明治14年5月、屋敷の東方の滝本村から石材を運び、石普請。しかし、2段目までできたところで、石工が逃亡。翌年の5月12日に奈良警察署の上村行業らが没収した。その後、小石が積まれていた。明治21年、教会本部の神殿建設で、板張り模型が二段据えられた。昭和9年10月15日南礼拝殿落成にあたり、木造かんろだいが据えられた。(天理教事典)
据え替え
- 昭和26年(1951)4月17日(天理教事典年表)
- 昭和39年(1964)8月24日(天理教事典年表)
- 昭和50年(1975)5月24日(天理教事典年表)
- 昭和59年(1984)10月24日(天理教少年会ウェブサイト)
- 平成12年(2000)7月24日(天理教少年会ウェブサイト
- 平成27年(2015)10月24日(天理教ウェブサイト)
- 平成29年(2017)8月24日(天理教ウェブサイト)
参考文献
- 1970『おやしき・史跡案内』