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妙泉寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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== 歴史 ==
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1431年、[[妙満寺]]僧の日舜が綾小路に創建。
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1431年、[[妙満寺]]5世の日舜が綾小路に創建。
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1536年の天文法難で焼失。寂光寺内に再建。
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1536年の天文法難で焼失。
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1590年、寂光寺と共に現在の[[行願寺]]のあたりに移転。
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豊臣秀吉の都市改造で、1590年8月、現在の[[行願寺]]のあたりにあった寂光寺内に移転。寂光寺もその直前の同年2月に室町近衛から移ってきたばかりだった(「京都の近世都市化」[https://doi.org/10.20624/sehs.10.7_643])。
1708年の宝永の大火で、現在地の寂光寺の地に移転。のち寂光寺に併合された。
1708年の宝永の大火で、現在地の寂光寺の地に移転。のち寂光寺に併合された。
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==組織==
==組織==
===歴代===
===歴代===
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*日舜(1379-1454)<>:霊鷲院。
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*日舜(1379-1454)<>:霊鷲院。妙満寺5世。
[[category:京都府]]
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2019年12月28日 (土) 時点における版

妙泉寺は京都にあった日蓮宗寺院。洛中法華二十一寺の一つ。日什門流。天文法難後は寂光寺内にあった。廃絶。山号は本湧山。

歴史

1431年、妙満寺5世の日舜が綾小路に創建。 1536年の天文法難で焼失。 豊臣秀吉の都市改造で、1590年8月、現在の行願寺のあたりにあった寂光寺内に移転。寂光寺もその直前の同年2月に室町近衛から移ってきたばかりだった(「京都の近世都市化」[1])。 1708年の宝永の大火で、現在地の寂光寺の地に移転。のち寂光寺に併合された。

(『日本歴史地名大系』、古事類苑)

組織

歴代

  • 日舜(1379-1454)<>:霊鷲院。妙満寺5世。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%A6%99%E6%B3%89%E5%AF%BA」より作成

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