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学養寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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学養寺は京都下京にあった日蓮宗寺院。洛中法華二十一寺の一つ。戦国時代の京都における身延門流の拠点だった。跡地不明。妙伝寺に併合。
歴史
綾小路にあった。身延山9世の日学に帰依し、京都布教を命じられた日養が応永年間(1394-1428)に創建(「中世日蓮教団の丹後進出に関する一考察 : 実教院日養上人を中心として」[1])。日讃を開山とする説もある(身延山史[2])。日学は学養寺を関西の身延門流の本寺と定め、妙伝寺ができるまで勢力を誇った。 1452年、美濃遊学中の池上本門寺7世の日寿が突如病にかかり、京都学養寺で診察を受けるが、死去した(日本仏家人名辞書ほか)。
1536年の天文法難の後、妙伝寺に併合。子院の妙釈院に引き継がれたともいう(「身延山歴代略譜」の日学の項目に「京都学養寺開基 今ノ妙伝寺内妙釈院是ナリ」とある[3])。
組織
歴代
- 日学(1386-1459)<>:成就院。開山とされることもある。身延9世。
- 1日養(?-1459)<>:実教院。但馬国出身。日学の弟子。最初、密教を学んだが、応永年間、諸国廻国して身延山で日学に帰依して改宗した。祖師像と大曼荼羅を授けられ、京都弘通を命じられた。京都に学養寺を創建し、永享年間、日為に譲り、但馬に帰り、堂を建てた。1449年、請われて丹後で布教し、丹後最初の日蓮宗寺院である妙立寺をはじめ多数の寺院を建てたという。1459年8月16日、郷里で死去。
- 2日為()<>:
- 3日讃(?-1474)<>:大乗坊。開山とされることもある。日学の弟子。
- 4日顕(?-1500)<>:
- 5日頼(?-1533)<>:
- 6日要()<>:
- 7日教()<>:
- 8日勇()<>:
- 9日現()<>:
- 10日潤()<>:
- 11日栄()<>:
- 12日受()<>:
「洛陽学養寺代々」(「中世日蓮教団の丹後進出に関する一考察 : 実教院日養上人を中心として」[4])