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妙伝寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年2月28日 (月)
妙伝寺(みょうでんじ)は、京都府京都市左京区北門前町にある日蓮宗寺院。洛中法華二十一寺の一つ。身延門流。日蓮宗久遠寺派の本山・由緒寺院。日蓮の分骨を祀り、西身延と呼ばれる。山号は法鏡山。
目次 |
歴史
所在地 | 沿革 | |
---|---|---|
1 | 一条尻切屋町(不詳) | 1477年(文明9年)創建。 |
堺 | 1536年(天文5年)天文法難で避難。 | |
2 | 四条西洞院(下京区妙伝寺町) | 1541年(天文10年)帰還。 |
3 | 寺町夷川(京極二条)(中京区梅之木町・西革堂町) | 1591年(天正19年)移転。1708年(宝永5年)焼失。 |
4 | 東山二条(左京区北門前町) | 1764年(明和1年)本堂再建。 |
日意(1444-1519)は天台宗の僧侶だったが身延山久遠寺11世日朝(1422-1500)に帰依して改宗。1499年(明応8年)久遠寺12世を継ぐ。
京都から身延山参詣は不便であるため、1477年(文明9年)豪商の薬屋妙善の帰依を得て一条尻切屋町(不詳)に伽藍を造営。日蓮の遺骨を身延山から分骨して奉安した。また身延七面大明神の同木同像を迎えて祀った。1475年(文明7年)に師の命で創建したともいう。
1536年(天文5年)天文法難で焼失。堺に避難(所在地不詳)。 1541年(天文10年)、京都に帰還し四条西洞院(下京区妙伝寺町)に移転(1537年(天文6年)とも)。1558年(永禄1年)12月21日、幕府から正式に四条西洞院の地を返還され、復興が許可された。 1568年(永禄11年)9月、織田信長が妙伝寺に禁制を出す。 1528年(享禄1年)4月19日禁制。
1590年(天正18年)、久遠寺17世日新(1535-1592)は久遠寺末流に対し、妙伝寺正善院を京都での宿坊に指定した。 1591年(天正19年)、豊臣秀吉の都市計画で寺町夷川上ル東側(中京区梅之木町・西革堂町)に移転。近世初期。6世日恵(1551-1624)が感得した錐揉祖師像を祀るようになった。日蓮像は六老僧の日法の作で、京都・興聖寺(日蓮宗から臨済宗に改宗)にあった。興聖寺の僧がおろそかに扱ったため1605年(慶長10年)に死去。日恵が夢告で像の存在を知りこれを迎えたという。
14世日勇(1604-1650)は近世を代表する学僧の一人で、一条家・四条家の帰依を得てその菩提寺となった。東福門院に招かれ法華経を講じ金紋袈裟を下賜された。さらに1643年(寛永20年)、一条家、四条家、東福門院の支援を得て僧侶養成のための山科檀林護国寺を創建した。 1708年(宝永5年)3月8日の宝永の大火で焼失。 現在地に移転。1764年(明和1年)本堂を再建した。
また年代は不明だが住僧の日養(不詳)が、天文法難で廃絶した学養寺の復興を発願し、子院なら再建が容易だろうと考え、寺内に学養坊を創建。のち学養坊は子院の妙釈院に併合された(日蓮宗事典)。
1745年(延享2年)時点では子院14、末寺18だった。また関西にある久遠寺末寺の触頭だった。
(国史大辞典、日本歴史地名大系、関西身延妙伝寺誌ほか)
伽藍
- 本堂:
- 御真骨堂:
- 七面堂:廃絶。祭神は本堂内に遷座。
- 浄行菩薩像:
- 片岡仁左衛門碑:
- 日蓮像:
- 寺務所
- 客殿:醍醐寺三宝院から移築したものという。
- 鐘楼:1710年(宝永7年)3月鋳造の鐘がある?
- 墓地:成田蒼〓、四条隆謌、片岡仁左衛門(初代から6代まで)
- 妙伝寺歴代住職墓地:通妙寺にある。
子院
名称 | 概要 |
---|---|
妙釈院 | 1417年(応永24年)6月、日養が創建。学養坊を併合。妙功大善神と「学養寺旧跡」碑がある。現存。 |
玄祥院 | 1538年(天文7年)1月、日宥が創建。長崎県に移転。 |
玉樹院 | 1547年(天文16年)、日頼が創建。現存。 |
良玄院 | 1552年(天文21年)、日建が創建。天正年間廃絶。 |
恵運院 | 1562年(永禄5年)2月、日貞が創建。天正年間廃絶。 |
観明坊 | 創建不詳。1796年(寛政8年)10月廃絶。 |
正林院 | 創建不詳。1800年(寛政12年)4月廃絶。 |
宝林院 | 創建不詳。1813年(文化10年)9月廃絶。 |
教蔵院 | 創建不詳。1817年(文化14年)12月廃絶。 |
宝光院 | 創建不詳。1566年(永禄9年)の大火で焼失し廃絶。 |
妙法院 | 創建不詳。1566年(永禄9年)の大火で焼失し廃絶。 |
光林坊 | 創建不詳。1566年(永禄9年)の大火で焼失し廃絶。 |
円妙坊 | 創建不詳。1566年(永禄9年)の大火で焼失し廃絶。 |
法善坊 | 創建不詳。1566年(永禄9年)の大火で焼失し廃絶。 |
守正坊 | 創建不詳。1566年(永禄9年)の大火で焼失し廃絶。 |
実成坊 | 創建不詳。1566年(永禄9年)の大火で焼失し廃絶。 |
宝積院 | 創建不詳。1566年(永禄9年)の大火で焼失し廃絶。 |
慶陽坊 | 創建不詳。1566年(永禄9年)の大火で焼失し廃絶。 |
乗円坊 | 創建不詳。1566年(永禄9年)の大火で焼失し廃絶。 |
蓮光院 | 創建不詳。1566年(永禄9年)の大火で焼失し廃絶。 |
円立院 | 1570年(元亀1年)、日仙が創建。現存。 |
本養院 | 1574年(天正2年)日存が創建。天正年間廃絶。 |
正善院 | 1574年(天正2年)日明が創建。1590年(天正18年)、久遠寺17世日新(1535-1592)は久遠寺末流に対し、妙伝寺正善院を京都に滞在する際の宿坊に指定した。天正年間廃絶。 |
遠照院 | 1596年(慶長1年)、日頼が創建。長崎県に移転。 |
真浄院 | 1611年(慶長16年)12月、日弥が創建。天正年間廃絶。 |
龍嶽院 | 1612年(慶長17年)、日長が創建。現存。 |
本光院 | 1623年(元和9年)、日安が創建。現存。 |
学養坊 | 洛中法華二十一寺の一つ学養寺を復興したもの。 妙釈院に合併。『妙伝寺誌』になし。 |
覚樹院 | 創建不詳。廃絶。『妙伝寺誌』になし。『政教中正論』に記載。 |
恵性院 | 創建不詳。廃絶。『妙伝寺誌』になし。『政教中正論』に記載。 |
了岳院 | 創建不詳。廃絶。『妙伝寺誌』になし。『政教中正論』に記載。 |
教就院 | 創建不詳。廃絶。『妙伝寺誌』になし。『政教中正論』に記載。 |
寛明院 | 創建不詳。廃絶。『妙伝寺誌』になし。『政教中正論』に記載。 |
組織
歴代住職
- 貫首と称す。
- 内藤日邦まで『日蓮宗事典』
- 歴代墓地は通妙寺にある。
世数 | 法諱 | 号 | 字 | 生没年 | 在職年 | 略歴 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 日意 | 円教院 | 法鏡 | 1444-1519 | 1477- | 身延12世。1444年(文安1年)生。元は天台宗の僧侶で、延暦寺の「学頭」だったという。桑名妙蓮寺(現在の寿量寺)に住す。円仁の理同事勝の説に疑問を持った。夢告を得て身延山に登り、久遠寺11世日朝を尋ねる。日朝も事前に日意が来るのを知り、二人が出会うと挨拶を交わすことなく問答を入り、3日間論談を往復した。疑問は解け日朝に師事する。1477年(文明9年)京都に妙伝寺を開く(1475年(文明7年)とも)。1499年(明応8年)久遠寺12世を継ぐ。また因幡蓮教寺を創建したと伝える。身延2世日向の生まれ変わりともいわれた。1519年(永正16年)2月3日死去。76歳。後世、「身延中興三師」の一人と呼ばれる。 |
2 | 日胤 | 浄性院 | ?-1534 | 在職26年。1534年(天文3年)7月6日死去。 | ||
3 | 日肝 | 真浄院 | ?-1551 | 在職中、1536年(天文5年)天文法難で寺院焼失。堺に逃れた。1541年(天文10年)京都に帰還し復興した。1551年(天文20年)12月15日死去(2月死去とも)。 | ||
4 | 日請 | 法光院 | ?-1590 | 1552- | 1552年(天文21年)就任。1558年(永禄1年)12月21日、正式に「帰洛御免状」を得たという。1590年(天正18年)3月14日死去。 | |
5 | 日暁 | 妙勝院 | ?-1596 | 1596年(慶長1年)7月12日死去。 | ||
6 | 日恵 | 慈眼院 | 遠了 | 1551-1624 | 1551年(天文20年)生。身延17世日新の弟子。飯高檀林に入り日新の命で妙伝寺に住す。1591年(天正19年)京極二条に移転させる。のち鎌倉本覚寺11世となる。1624年(寛永1年)12月5日死去。74歳。 | |
7 | 日豪 | 智寂院 | ?-1614 | 西谷檀林3世。飯高檀林5世。1614年(慶長19年)6月19日死去。 | ||
8 | 日遠 | 心性院 | 堯順 | 1572-1642 | 身延22世。池上16世。西谷檀林開祖。飯高3世。本満寺14世。本遠寺開山。貞松蓮永寺8世。京都出身。1572年(元亀3年)生。藤原氏。石井家。身延20世日重(本満寺12世)に師事。南都北嶺に学び、八宗を学ぶ。妙伝寺に住し、1604年(慶長9年)久遠寺22世。1608年(慶長13年)、本遠寺に隠退するが請を受けて身延に再任。1615年(元和1年)浄土宗との法論で将軍の怒りを買い磔刑となるが、その気迫に押され許される。不受不施派の弾圧に尽力する。1642年(寛永19年)3月5日死去。71歳。「宗門中興の三師」の一人。 | |
9 | 日要 | 顕是院 | 観月 | 1576-1623 | 身延24世。中村檀林4世。小室妙法寺16世。1576年(天正4年)生。中村檀林講主になった後、妙伝寺に住す。のち久遠寺に晋山。1623年(元和9年)7月5日死去。48歳。 | |
10 | 日盛 | 了眼院 | 1564-1619 | 瑞輪寺3世・6世。1564年(永禄7年)生。6世日恵の弟子。推薦を受けて妙伝寺に住し、慶長年間、江戸瑞輪寺に住す。のち妙伝寺に再任。1619年(元和5年)3月27日死去。56歳。墓所は通妙寺。 | ||
日在 | 妙性院 | ?-1624 | 1624年(寛永1年)5月14日死去。(日蓮宗事典になし) | |||
11 | 日真 | 東光院 | 慧性 | 1564-1626 | 島原護国寺、府中妙泉寺、大覚寺、熊本法宣寺、水倶法華寺、熊本本妙寺等の開山。発星院とも。1564年(永禄7年)生。1626年(寛永3年)4月23日死去。63歳(62歳とも)。(略歴は肥後・本妙寺#組織を参照) | |
12 | 日宝 | 雲雷院 | ?-1628 | 大阪雲雷寺開山。1628年(寛永5年)5月12日死去。 | ||
13 | 日逞 | 妙性院 | 禅恵 | 1590-1644 | 藻原寺20世。1590年(天正18年)生。1644年(正保1年)11月12日死去。55歳。 | |
14 | 日勇 | 法性院 | 1604-1650 | 西洞院家(平氏)の出身。参議西洞院時直の次男。1604年(慶長9年)生。身延に登り、日要に師事。のち妙伝寺に住す。諸堂を修造する。布教に尽力し、一条家と四条家の帰依を得た。東福門院に招かれ法華経を講じ、袈裟を賜る。東福門院と一条家・四条家の支援で山科檀林護国寺を開く。勇師法縁の祖。1650年(慶安3年)12月23日死去。47歳。 | ||
15 | 日健 | 了智院 | 通念 | ?-1683 | 鷹峰檀林文5世。鷹峰玄3世。1683年(天和3年)9月29日死去。 | |
16 | 日通 | 寂遠院 | 玄海 | 1614-1679 | 身延30世。池上20世。山科2世。鷹峰文11世。鷹峰玄5世。飯高15世。久昌寺2世。1614年(慶長19年)生。日勇の弟子。鷹峰檀林で学ぶ。山科檀林玄文の講主となり、推されて妙伝寺に住す。のち飯高檀林に移る。1679年(延宝7年)2月11日、瑞輪寺で死去。66歳。1660年(万治3年)6月、真如院跡に真如寺を創建(明治維新の時に廃絶)。 | |
17 | 日陽 | 詮理院 | 幸温 | ?-1680 | 中村化主。東山檀林7世。京都本法寺加歴25世。中村化主を経て妙伝寺に住す。1680年(延宝8年)9月12日死去。(妙伝寺誌では日令、日陽の順とする) | |
18 | 日令 | 良静院 | 陽山 | ?-1693 | 平賀本土寺18世。山科文3世。中村玄。中村、平賀を経て妙伝寺に住す。1693年(元禄6年)11月19日死去。(妙伝寺誌では日令、日陽の順とする) | |
19 | 日啓 | 寂耀院 | 輪匠 | 1632-1689 | 山科文6世。西岡真如寺。1632年(寛永9年)生。初名は日政。日通の弟子。飯高檀林に学ぶ。山科化主を経て妙伝寺に住す。1689年(元禄2年)6月17日死去(1690年(元禄3年)死去とも)。58歳。 | |
20 | 日省 | 智寂院 | 老弁 | ?-1721 | 身延32世。山科文7世。飯高文20世。飯高玄21世。水戸文4世。十如院日行のもとで出家。日通に師事。山科檀林の請に応じて妙伝寺に晋山。のち飯高檀林講主。1689年(元禄2年)徳川光圀に文句を講ず。1699年(元禄12年)身延山に晋山。1701年(元禄14年)紫衣。1721年(享保6年)1月13日死去。 | |
21 | 日成 | 養法院 | 玄諦 | ?-1689 | 山科文8世。東山10世。飯高文23世。1689年(元禄2年)10月13日死去。 | |
22 | 日静 | 良道院 | ?-1673 | 1673年(延宝1年)11月29日死去。(妙伝寺誌では日聖) | ||
23 | 日亨 | 遠沾院 | 顗海 | 1646-1721 | 身延33世。立本寺25世。山科10世。飯高文25世。京都出身。1646年(正保3年)生。日通に師事。山科檀林の請に応じて妙伝寺に住す。のち立本寺に住す。満願寺を創建。1624年(寛永1年)身延山に晋山し紫衣を賜る。久遠寺を勅願寺とする。また岩国要法寺を創建。1721年(享保6年)12月26日死去。76歳。 | |
24 | 日厳 | 養遠院 | 潮海 | 1651-1705 | 法華経寺50世。妙国寺13世。山科文11世。飯高文33世。1651年(慶安4年)生。1705年(宝永2年)12月17日死去。55歳。 | |
25 | 日遵 | 寿遠院 | 天和 | ?-1712 | 水戸檀林開祖。東山11世。1712年(正徳2年)2月15日死去。 | |
26 | 日実 | 遠成院 | ?-1703 | 東山12世。1703年(元禄16年)8月30日死去。 | ||
27 | 日遶 | 寂成院 | ?-1732 | 1732年(享保17年)5月20日死去。 | ||
28 | 日慈 | 通恩院 | ?-1710 | 宝塔寺15世。2月死去とも。1710年(宝永7年)1月18日死去。 | ||
29 | 日義 | 住心院 | 泰念 | 1649-1729 | 山科文17世。松ケ崎檀林24世。1649年(慶安2年)生。1708年(宝永5年)の宝永の大火に遭う。東山二条に再建。1729年(享保14年)5月6日死去。81歳。 | |
30 | 日〓 | 広宜院 | 1655-1739 | 上牧本澄寺16世。1655年(明暦1年)生。1739年(元文4年)1月29日死去。85歳。(〓はしんにょうに台) | ||
31 | 日竟 | 誠峰院 | 実等 | 1677-1734 | 身延35世。松ケ崎文31世。山科文。飯高文60世。能登妙成寺24世。1677年(延宝5年)生。山科檀林講主を経て妙伝寺に住す。1734年(享保19年)1月21日死去。58歳。 | |
32 | 日迅 | 寂妙院 | ?-1699 | 上牧本澄寺15世。1699年(元禄12年)2月24日死去。 | ||
33 | 日允 | 遠妙院 | ?-1742 | 1742年(寛保2年)11月17日死去。 | ||
34 | 日眼 | 大千院 | ?-1747 | 宝塔寺24世。11月死去とも。1747年(延享4年)10月25日死去。 | ||
35 | 日勤 | 了遠院 | 了遠 | 1686-1771 | 東山玄66世。大津本長寺12世。1686年(貞享3年)生。各地で説法して1万座する。1764年(明和1年)本堂再建を果たす。1771年(明和8年)11月13日死去。86歳。79歳とも。 | |
36 | 日総 | 貞妙院 | 貞明 | ?-1751 | 身延39世。飯高文54世。1751年(宝暦1年)6月29日死去。 | |
37 | 日妙 | 温譲院 | 1683-1749 | 山梨長遠寺27世。1683年(天和3年)生。1749年(寛延2年)10月7日死去。67歳。 | ||
38 | 日視 | 慈眼院 | 慈眼 | 1695-1765 | 松ケ崎60世。1695年(元禄8年)生。1765年(明和2年)10月3日死去。71歳。 | |
39 | 日稽 | 妙幡院 | 実秀 | ?-1763 | 鷹峰111世。1763年(宝暦13年)3月9日死去。 | |
40 | 日忠 | 長養院 | 1723-1783 | 1723年(享保8年)生。1783年(天明3年)1月3日死去。61歳。 | ||
41 | 日梁 | 智律院 | 智伯 | ?-1786 | 飯高文164世。松ケ崎114世。飯高檀林化主を経て妙伝寺に住す。1786年(天明6年)9月12日死去。 | |
42 | 日猛 | 通入院 | ?-1778 | 田原法華寺14世。東山文148世。熊本長国寺で死去。1778年(安永7年)11月5日死去。 | ||
43 | 日逢 | 只信院 | 円朗 | 1727-1802 | 妙伝寺43世。六条129世。中村文158世。1727年(享保12年)生。福山妙政寺15世より晋山。1802年(享和2年)8月11日死去。76歳。 | |
44 | 日信 | 霊芝院 | 能敬 | ?-1814 | 山科文124世。鷹峰文261世。鷹峰玄204世。松ケ崎・妙泉寺。山科檀林素生の初祖。讃岐高松寺より妙伝寺に住す。1814年(文化11年)8月8日死去。 | |
45 | 日饒 | 厚善院 | 義運 | ?-1803 | 金沢立像寺18世を経て妙伝寺に住す。1803年(享和3年)9月26日死去。 | |
46 | 日逮 | 僧祇院 | ?-1818 | 大阪本要寺22世を経て妙伝寺。1818年(文政1年)8月4日死去。 | ||
47 | 日芳 | 妙俊院 | ?-1841 | 名古屋法華寺22世を経て妙伝寺。御真骨堂を再建。1841年(天保12年)6月23日死去(22日死去とも)。 | ||
48 | 日祥 | 誠興院 | ?-1846 | 1825- | 松山法華寺14世を経て、一条家の帰依を得て1825年(文政8年)12月19日、妙伝寺に住す。1846年(弘化3年)5月18日死去。(妙伝寺誌では身延70世になったとするが、妙伝寺50世の止明院日祥と混同しているようだ) | |
49 | 日種 | 妙道院 | ?-1835 | 1832- | 右大臣西園寺実季の子。出水華光寺30世・中興。1832年(天保3年)4月16日に妙伝寺に晋山。1835年(天保6年)5月22日死去。 | |
50 | 日祥 | 止明院 | 顗鶴 | 1787-1872 | 身延70世。飯高文304世。山科文。山科妙見寺開山。1787年(天明7年)生。初名は日静。妙伝寺を経て1864年(元治1年)10月3日、身延に晋山。紫衣。1846年(弘化3年)3月25日、仁孝天皇崩御の際に参内し、「献経」したという。1872年(明治5年)6月9日死去。86歳。 | |
51 | 日森 | 宝樹院 | 1802-1852 | 1802年(享和2年)生。1852年(嘉永5年)3月26日死去。51歳。 | ||
52 | 日皐 | 和玄院 | 1805-1879 | 1852- | 1805年(文化2年)生。立本寺56世を経て1852年(嘉永5年)春、妙伝寺に晋山。松ケ崎文306世。1879年(明治12年)1月4日死去。75歳。 | |
53 | 日兆 | 蔵性院 | ?-1858 | 京都通妙寺22世を経て妙伝寺に晋山。1858年(安政5年)10月5日死去。 | ||
54 | 日章 | 戒真院 | 生没年不詳 | 1861-1867 | 四条家の猶子となる(以後慣例)。本所本仏寺16世を経て1861年(文久1年)6月8日、妙伝寺に晋山。下総で死去。1867年(慶応3年)5月に下総に隠退し、のち死去。 | |
55 | 日遼 | 慈妙院 | 1788-1873 | 1867- | 1788年(天明8年)生。但馬実行寺33世を経て1867年(慶応3年)11月18日、妙伝寺に住す。1873年(明治6年)9月17日死去。86歳。 | |
56 | 日名 | 玄性院 | 歯船 | 1794-1879 | 1871- | 山科文544世。1794年(寛政6年)生。大津妙光寺20世を経て1871年(明治4年)妙伝寺に住す。1879年(明治12年)1月4日死去。86歳。 |
57 | 日応 | 妙種院 | 玄励 | ?-1899 | 山科文546世。妙伝寺本光院。墨染寺32世より妙伝寺に晋山。1899年(明治32年)12月25日死去。 | |
58 | 日穆 | 一神院 | 恵敬 | ?-1883 | 山科文519世。山科玄。岐阜常光寺20世。尾張国照寺41世。1883年(明治16年)7月12日死去。 | |
59 | 日寛 | 栄光院 | 生没年不詳 | 妙伝寺准歴(妙伝寺誌)。 | ||
60 | 日稽 | 順芳院 | ?-1905 | 1905年(明治38年)5月1日死去(2日死去とも)。(妙伝寺誌になし) | ||
61 | 日真 | 正守院 | 心静 | ?-1909 | 1880- | 山科文572世。妙伝寺恵林院。通妙寺を経て1880年(明治13年)9月、妙伝寺に晋山。1909年(明治42年)1月2日死去。 |
62 | 日庸 | 全中院 | 学澄 | ?-1886 | 山科文573世。東山文791世。能勢妙法寺23。1885年(明治18年)4月、妙伝寺に住す。1886年(明治19年)3月24日、東京宗局に勤務中に死去。 | |
准歴 | 日厚 | 観成院 | ?-1886 | 准歴 | 尾張法蓮寺。1886年(明治19年)2月16日死去。(妙伝寺誌では日解の代の准歴とする) | |
63 | 日教 | 一玄院 | 1813-1892 | 本満寺56世。北野法華寺28世。1813年(文化10年)生。1892年(明治25年)1月24日、大阪善徳寺で死去。80歳。 | ||
64 | 日解 | 止等院 | ?-1885 | 山科文514世。1885年(明治18年)4月21日、法華寺で死去。 | ||
65 | 浅井日通 | 遠明院 | ?-1909 | 名古屋妙善寺を経て1894年(明治27年)1月、妙伝寺に晋山。1909年(明治42年)11月19日死去。 | ||
日融 | 遠充院 | 1896加歴 | 名古屋休玄寺。1896年(明治29年)加歴。(日蓮宗事典になし) | |||
66 | 日義 | 東是院 | 1848-1910 | 大津妙光寺。1848年(嘉永1年)生。1910年(明治43年)4月19日死去。63歳。 | ||
67 | 豊田日明 | 正順院 | 豊田心静 | 1859-1924 | 通妙寺。1859年(安政6年)生。1924年(大正13年)5月1日死去。66歳。 | |
68 | 林日胤 | 一〓院 | 林〓法 | 1870-1957 | 1924-1957 | 1870年(明治3年)生。東京大檀林卒。東京大檀林寮監。京都中檀林教頭。佐渡実相寺、武生妙国寺を経て1924年(大正13年)妙伝寺貫首。1957年(昭和32年)4月18日死去(24日とも)。88歳。(〓は樹の木偏をサンズイに) |
69 | 飯沼日潜 | 慈龍院 | 飯沼龍遠 | 1888-1969 | 1957-1961 | 岐阜県出身。1888年(明治21年)生。1916年(大正5年)東京帝国大学哲学科卒。1921年(大正10年)名古屋大光寺住職。ドイツ、フランス、イギリス、アメリカに留学。1928年(昭和3年)帰国。台北帝国大学教授。1957年(昭和32年)12月、妙伝寺貫首。1961年(昭和36年)隠退。宗派教学部長、立正大学学長、宗務司監など歴任。1969年(昭和44年)6月24日死去。81歳。 |
准歴70 | 上田日詠 | 称道院 | 上田尚温 | 1878-1962 | 准歴 | 京都出身。1878年(明治11年)生。1903年(明治36年)日蓮宗大学卒。妙円寺を経て1945年(昭和20年)12月、山科護国寺住職。立本寺、大妙寺を代務。1962年(昭和37年)3月5日死去。85歳。 |
准歴71(加歴70) | 高村日英 | 真篤院 | 高村〓俊 | 1894-1977 | 1961加歴 | 名古屋出身。1894年(明治27年)生。日蓮宗大学卒。足立立応寺を経て名古屋定徳寺35世。1957年(昭和32年)妙伝寺准歴68世。1961年(昭和36年)妙伝寺加歴70世。1977年(昭和52年)7月8日死去。84歳。 |
72 | 森日厚 | 真性院 | 森泰淳 | 1905-1966 | 1961- | 名古屋出身。1905年(明治38年)生。東洋大学専門部卒。名古屋常泉寺27世、岐阜重善寺8世を経て1961年(昭和36年)妙伝寺貫首。1966年(昭和41年)12月8日死去。61歳。 |
73 | 谷口日輝 | 妙宣院 | 谷口心瑞 | 1900-1973 | 1968- | 京都出身。1900年(明治33年)生。1928年(昭和3年)光山学院卒。智積院、円城寺、通妙寺28世を経て1968年(昭和43年)妙伝寺貫首。1973年(昭和48年)2月2日死去。73歳。 |
74 | 落井日晃 | 束寿院 | 落井良英 | 京都日体寺14世。 | ||
75 | 内藤日邦 | 一乗院 | 内藤潮邦 | |||
76 | ||||||
77 | ||||||
78 | 日薩 | 慈雲院 | 1994- | 自坊は大阪観世音寺。1994年(平成6年)6月29日就任。 | ||
79 | 藤井安国? | |||||
80 | 野々垣日祐 | 実成院 | 野々垣泰典 | 1936-2021 | 2003-2021 | 自坊は笠松蓮国寺。岐阜県出身。1936年(昭和11年)生。立正大学仏教学部宗学科卒。1968年(昭和43年)岐阜蓮国寺住職。1984年(昭和59年)法華経寺荒行堂七行を成満。2003年(平成15年)妙伝寺貫首。2021年(令和3年)4月20日死去。85歳。 |
81 | 藤原日成 | 真英院 | 藤原円俊 | ?-2015 | 2015加歴 | 名古屋定徳寺38世。2015年(平成27年)5月18日死去。73歳。 |
82 | 谷口心英 | 2016加歴 | 鳥辺通妙寺住職。2016年(平成28年)加歴。 | |||
83 | ||||||
84 | 石本日要 | 東照院 | 石本良勇 | ?-2020 | 2016加歴 | 自坊は妙伝寺玉樹院。2016年(平成28年)、妙伝寺84世に加歴。2020年(令和2年)5月9日死去。97歳。 |
85 | 村瀬日隆 | 2021- | 自坊は名古屋大光寺。2021年(令和3年)6月24日、妙伝寺貫首晋山式。 |