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安房・妙蓮寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''妙蓮寺''' | + | '''妙蓮寺'''(みょうれんじ)は、千葉県鴨川市小湊にある[[日蓮宗]]寺院。[[日蓮]]の両親の墓所がある。本尊は[[十界曼荼羅]]。[[日蓮宗久遠寺派]]。'''両親閣'''、'''小湊妙蓮寺'''。[[小湊誕生寺]]の近くある。山号は妙日山。(参考:同名寺院[[妙蓮寺]]) |
== 歴史 == | == 歴史 == | ||
- | + | 1258年2月14日に父の貫名重忠(妙日)が亡くなると、日蓮はその墓の傍らに草庵を立てた。これが寺の起源という。『一代聖教大意』はここで書かれたともいう。 | |
- | + | 1264年、日蓮は父の七回忌に帰郷すると母の梅菊(妙蓮)が既に息絶えていた。日蓮が一心に祈ると母は蘇生したという。 | |
- | + | 1267年8月15日には母が死去すると、墓を建て、両親の法号から妙日山妙蓮寺と命名したという。 | |
- | + | 日蓮は晩年[[身延山]]の[[思親閣]]からこの地を遥拝したという。 | |
誕生寺3世日静が隠退してこの地に住み、寺観を整えた。妙蓮の蘇生祈祷の時に曼荼羅本尊を懸けるのに使った霊木から日蓮と両親の像3体を彫り祀ったという。 | 誕生寺3世日静が隠退してこの地に住み、寺観を整えた。妙蓮の蘇生祈祷の時に曼荼羅本尊を懸けるのに使った霊木から日蓮と両親の像3体を彫り祀ったという。 | ||
- | + | 江戸時代には、誕生寺末寺203寺の末頭だったという。 | |
+ | (寺院ウェブサイトほか) | ||
==伽藍== | ==伽藍== | ||
*本堂:本尊は十界曼荼羅。1857年の再建。 | *本堂:本尊は十界曼荼羅。1857年の再建。 | ||
*御廟堂:妙日、妙蓮の墓。覆堂があり、手前に拝殿がある。覆堂には「聖親廟」額がある。 | *御廟堂:妙日、妙蓮の墓。覆堂があり、手前に拝殿がある。覆堂には「聖親廟」額がある。 | ||
*感応堂:日蓮と両親の像を祀る御影堂。日静が彫った像と思われる。「感応」の名は日蓮の祈祷が天に感応して母が蘇生した説話に基づく。 | *感応堂:日蓮と両親の像を祀る御影堂。日静が彫った像と思われる。「感応」の名は日蓮の祈祷が天に感応して母が蘇生した説話に基づく。 | ||
- | *二十三夜堂:本尊は[[二十三夜尊]] | + | *二十三夜堂:本尊は[[二十三夜尊]]。妙之浦[[弁財天]]も合祀。 |
- | * | + | *稲荷堂:祭神は[[稲荷神]]。 |
[[category:千葉県]] | [[category:千葉県]] |
2020年4月9日 (木) 時点における版
妙蓮寺(みょうれんじ)は、千葉県鴨川市小湊にある日蓮宗寺院。日蓮の両親の墓所がある。本尊は十界曼荼羅。日蓮宗久遠寺派。両親閣、小湊妙蓮寺。小湊誕生寺の近くある。山号は妙日山。(参考:同名寺院妙蓮寺)
歴史
1258年2月14日に父の貫名重忠(妙日)が亡くなると、日蓮はその墓の傍らに草庵を立てた。これが寺の起源という。『一代聖教大意』はここで書かれたともいう。 1264年、日蓮は父の七回忌に帰郷すると母の梅菊(妙蓮)が既に息絶えていた。日蓮が一心に祈ると母は蘇生したという。 1267年8月15日には母が死去すると、墓を建て、両親の法号から妙日山妙蓮寺と命名したという。 日蓮は晩年身延山の思親閣からこの地を遥拝したという。 誕生寺3世日静が隠退してこの地に住み、寺観を整えた。妙蓮の蘇生祈祷の時に曼荼羅本尊を懸けるのに使った霊木から日蓮と両親の像3体を彫り祀ったという。 江戸時代には、誕生寺末寺203寺の末頭だったという。 (寺院ウェブサイトほか)