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安楽光院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''安楽光院'''(あんらくこういん)は[[京都]]上京にあった[[皇室]]ゆかりの[[天台宗]]系・[[浄土宗]]系寺院。北朝の御所となった[[持明院殿]]付属の仏堂が起源。[[如導派]]の有力寺院。持明院統の菩提寺。1353年(正平8年/文和2年)に持明院殿は焼失。安楽光院だけ残った。深草に移されて[[安楽行院]]となったといわれるが不詳。[[泉涌寺来迎院]]に合併して廃絶。
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[[ファイル:7414CF4B-4C18-4FF0-A376-0C24E6C6C4D3.jpeg|光照院にある「持明院仙洞御所跡」碑|thumb|200px]]
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[[ファイル:CDF2D237-31BE-4AD1-AAE9-54D2192BF033.jpeg|光照院門跡|thumb|200px]]
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'''安楽光院'''(あんらくこういん)は[[京都]]上京にあった[[皇室]]ゆかりの[[天台宗]]系・[[浄土宗]]系寺院。持明院の名でも知られ、北朝系の御所持明院殿の付属仏堂だった。[[如導派]]の有力寺院。持明院統の菩提寺。現在の[[光照院]]のあたりにあった。[[十二光院]]の一つか。
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[[十二光院]]の一つか。
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[[藤原道長]]孫の藤原基頼(?-1122)がこの地に自邸を設け、天治年間にその子の通基が仏堂を建てたのが起源。基頼を祖とする持明院家の名の由来となった。
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[[仙洞御所]][[持明院殿]]となり持明院統の拠点となった。
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1353年(正平8年/文和2年)に持明院殿は焼失。安楽光院だけ残った。深草に移されて[[安楽行院]]となったといわれるが不詳。[[泉涌寺来迎院]]に合併して廃絶。
[[category:京都府]]
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2021年11月28日 (日) 時点における版

光照院にある「持明院仙洞御所跡」碑
光照院門跡

安楽光院(あんらくこういん)は京都上京にあった皇室ゆかりの天台宗系・浄土宗系寺院。持明院の名でも知られ、北朝系の御所持明院殿の付属仏堂だった。如導派の有力寺院。持明院統の菩提寺。現在の光照院のあたりにあった。十二光院の一つか。


藤原道長孫の藤原基頼(?-1122)がこの地に自邸を設け、天治年間にその子の通基が仏堂を建てたのが起源。基頼を祖とする持明院家の名の由来となった。 仙洞御所持明院殿となり持明院統の拠点となった。

1353年(正平8年/文和2年)に持明院殿は焼失。安楽光院だけ残った。深草に移されて安楽行院となったといわれるが不詳。泉涌寺来迎院に合併して廃絶。

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%AE%89%E6%A5%BD%E5%85%89%E9%99%A2」より作成

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