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寂光院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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寂光院(国土地理院空中写真より)

寂光院(じゃっこういん)は京都府京都市左京区大原草生町にある天台宗寺院。本尊は地蔵菩薩平清盛娘の建礼門院徳子が隠棲した。尼寺とされる。裏山に建礼門院の大原西陵がある。寺号は玉泉寺。山号は清香山。

歴史

開創は聖徳太子、または空海、あるいは良忍ともいう。初代住職は日本最初の三比丘尼の一人である慧善という。 1165年(永万1年)、阿波内侍が出家して証道と名乗り、入寺した。これを2代住職とみなしているという。 1185年(文治1年)、壇之浦の戦いで平家が滅亡した後、建礼門院徳子が隠棲して真如覚と名乗り入寺。高倉天皇安徳天皇、平家一門の冥福を祈ったという。翌1186年(文治2年)4月、後白河法皇が建礼門院を訪ねて御幸した。平家物語によると建礼門院は1191年(建久2年)2月、寂光院の阿弥陀三尊の中尊の手に五色の糸を結びつけて亡くなったという(現在は阿弥陀如来を祀っているかは不明)。

1603年(慶長8年)、淀殿の発願で伽藍再興。近世は、天台宗と浄土宗の兼学で寺領は30石だった。 2000年(平成12年)5月9日、本堂焼失。 2005年(平成17年)6月2日、再建。 (ウェブサイト、日本歴史地名大系、国史大辞典ほか)

伽藍

  • 本堂:本尊は地蔵菩薩は六万体地蔵菩薩と呼ばれる。2000年(平成12年)の焼失後、2005年(平成17年)に旧本堂そのままに再建。本尊は焼損した旧本尊を模刻し、美術院国宝修理所の小野寺久幸が造立したもの。また建礼門院像と阿波内侍像を祀る。火災後に平安仏所が造立。焼失した阿波内侍像は平家の手紙で作られた張り子の像とされるが、焼け残った書状からは室町時代の後期とみられる年号が見つかった。
  • 弁天堂:現存未確認。
  • 大原西陵:建礼門院の陵墓。
  • 御庵室跡
  • 阿波内侍墓
  • 大納言佐局墓
  • 右京大夫局墓
  • 治部卿局墓
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