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山形県護国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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*本社
*本社
*敷島神社:祭神は[[天照大神]]。元は霞城公園内にあった[[営内神社]]。
*敷島神社:祭神は[[天照大神]]。元は霞城公園内にあった[[営内神社]]。
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==資料==
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*1933『山形県神社要覧』「官祭招魂社」[https://dl.ndl.go.jp/pid/1214469/1/39]

2023年7月5日 (水) 時点における版

山形県護国神社(やまがたけん・ごこくじんじゃ)は、山形県山形市の馬見ケ崎川の南岸の千歳公園にある、県内の戦没者などを祀る招魂社官祭招魂社内務大臣指定護国神社神社本庁別表神社山形招魂社山形県招魂社。占領期の名前は千歳宮

目次

祭神

  • 26柱(明治44年『靖国神社誌』)
  • 39091柱(『靖国神社百年史』)
  • 40845柱(1990年11月現在。由緒書、神社ウェブサイトなど)

歴史

  • 1869年(明治2年)2月20日:戊辰戦争戦没者、鹿児島藩大砲長の久永龍助以下10柱を祀る。山形市小荷駄町にあった。社殿は鹿児島藩が寄付したという。(創建か?)(『靖国神社百年史』、『靖国神社誌』では1月創建とする)
  • 1875年(明治8年)6月:官祭招魂社となる。(『靖国神社百年史』)
  • 1878年(明治11年)9月:南村山郡山形八日町東原643に社殿造営。戊辰戦争、西南戦争の戦没者を合祀。(『靖国神社百年史』ほか)
  • 1888年(明治21年)10月:山形市宮町2267の千歳公園内に遷座(『靖国神社百年史』)
  • 1911年(明治44年)5月8日:山形市大火の際社殿焼失(神社ウェブサイト)
  • 1912年(大正1年)2月:仮殿造営。(『神道史大辞典』)
  • 1913年(大正2年)3月:薬師町に再建(『神道史大辞典』)
  • 1918年(大正7年)、日清戦争、霧社事件、日露戦争、日独戦争の戦没者を合祀(神社ウェブサイト)
  • 1933年(昭和8年)3月13日:山形県招魂社と改称。(神社ウェブサイト)
  • 1934年(昭和9年)10月28日:現在地に新社殿造営、遷座。(『靖国神社百年史』)
  • 1935年(昭和10年):満洲事変戦没者を合祀。(神社ウェブサイト)
  • 1939年(昭和14年)4月1日:内務大臣指定護国神社となり「山形県護国神社」と改称。(『靖国神社百年史』)
  • 1947年(昭和22年)4月13日:「千歳宮」と改称。(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1952年(昭和27年)12月6日:山形県護国神社に復す。(神社ウェブサイト)
  • 1953年(昭和28年)5月29日:別表神社に加列。(神社ウェブサイト)
  • 1960年(昭和35年)5月9日:植樹祭行幸に際して幣帛料(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1960年(昭和35年)10月28日:合祀概了奉告祭(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1961年(昭和36年)10月6日:幣帛料。秋田県国体行幸(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1965年(昭和40年)11月2日:終戦20周年祭(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1967年(昭和42年)5月1日:参集所竣工(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1969年(昭和44年)11月2日:創建100年記念大祭(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1970年(昭和45年)7月26日:参集所改修竣工。報国式(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1994年(平成6年):拝殿改修。(神社ウェブサイト)

境内

資料

  • 1933『山形県神社要覧』「官祭招魂社」[1]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%B1%B1%E5%BD%A2%E7%9C%8C%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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