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嵩山
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2015年9月20日 (日) 時点における版
嵩山(すうざん)は、中国の河南省登封市にある、道教の霊山。五岳の一つで中岳にあたる。仏教寺院も多い。重点宮観の中岳廟や重点寺院の少林寺がある。中岳廟は秦の創建。中岳大殿や御書楼などがある。本格的な造営は、漢の武帝の前110年の増築に始まる。南北朝時代に寺観が増える。冠謙之が新天師道をひらいた。全真道が管理する中岳廟には、中岳中天大寧崇聖大帝を祭る。
唐の高宗は道士潘師正のために崇唐観と精思観を建てた。周(唐)の則天武后は、万歳登封元年(696)封禅を行った。また則天武后は、聖暦2年(699)2月、嵩山と緱氏山の昇仙太子廟(王子晋、周の霊王の王子)に「昇仙太子碑」を建てた。 3年(700)5月には三陽宮で療養。胡超という道士が彼女のために薬を調合した。これを服用したところ、効果が覿面だったため、長寿を意味する「久視」に改元した。改元直後の久視元年の7月7日にはさらに不老長寿の祈願を行った。金の札に願文を刻み、嵩山の崖下に投げ入れたが、近年この金簡の実物が発見された。胡超は、東晋の許遜を開祖と仰ぐ洪州(江西省南昌)を拠点としていた教団浄明道の中興とされる人物であった。 玄宗は、孫太沖(そんたいちゅう)に命じて、嵩山の嵩陽観で不老長寿の薬とされる金丹を製造させた(嵩山で行ったのは六転丹までで、その後の工程は緱氏山の昇仙太子廟で行った)。 (土屋昌明、2002『神仙幻想』春秋社) 。