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広済院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年4月25日 (土)

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広済院(こうさいいん)は美濃国神坂峠(岐阜県中津川市神坂)にあった最澄ゆかりの布施屋。神坂峠は美濃国と信濃国の国境で、古代東山道最大の難所といわれ、信濃国側の広拯院と共に最澄が建てたという。

歴史

817年(弘仁8年)、東国布教に赴いた最澄は神坂峠の急峻さに驚き、峠の両側に休憩所として布施屋を設けたという。 跡地は諸説あるが、1958年(昭和33年)11月25日、霧ケ原に「傳教大師廣濟院遺趾顕彰碑」建立。1938年(昭和13年)4月から石碑建立が計画されたものの停滞していたが、天台宗延暦寺派信越教区が開宗1150年記念事業として奔走して実現した。延暦寺の飛地境内地となっているらしい。跡地は細野薬師堂という説もある。

1978年(昭和53年)、延暦寺の経営ではないが、延暦寺の名を冠した天台宗系の老人ホーム延暦寺広済寮が設立された。広済寮には最澄像がある。2019年(令和1年)1月、広済寮が岐阜県中津川市落合に移転。

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