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後宇多天皇陵
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | 京都府京都府右京区北嵯峨朝原山町にある[[後宇多天皇]] | + | [[file:Kokudo0291.jpg|thumb|300px|後宇多天皇陵(国土地理院空中写真より)]] |
+ | 京都府京都府右京区北嵯峨朝原山町にある[[後宇多天皇]]の[[陵墓]]。 | ||
後宇多天皇は、生前から[[大覚寺]]北側に寿陵として八角円堂を建立し、五輪塔を設置して、「[[蓮華峰寺]]」と命名した。江戸時代には、宝形の法華堂となっていた。文久の修陵に際して、拝所が整備され、外堤が造営された。(文久山陵図227) | 後宇多天皇は、生前から[[大覚寺]]北側に寿陵として八角円堂を建立し、五輪塔を設置して、「[[蓮華峰寺]]」と命名した。江戸時代には、宝形の法華堂となっていた。文久の修陵に際して、拝所が整備され、外堤が造営された。(文久山陵図227) | ||
1865年(慶応1年)5月5日、修陵の奉告。1905年(明治38年)、隣接する国有林を編入。2002年(平成14年)時点で、陵域内に21基の古墳が確認されている(陵域外にも数基ある)。 | 1865年(慶応1年)5月5日、修陵の奉告。1905年(明治38年)、隣接する国有林を編入。2002年(平成14年)時点で、陵域内に21基の古墳が確認されている(陵域外にも数基ある)。 |
2020年7月5日 (日) 時点における版
京都府京都府右京区北嵯峨朝原山町にある後宇多天皇の陵墓。 後宇多天皇は、生前から大覚寺北側に寿陵として八角円堂を建立し、五輪塔を設置して、「蓮華峰寺」と命名した。江戸時代には、宝形の法華堂となっていた。文久の修陵に際して、拝所が整備され、外堤が造営された。(文久山陵図227) 1865年(慶応1年)5月5日、修陵の奉告。1905年(明治38年)、隣接する国有林を編入。2002年(平成14年)時点で、陵域内に21基の古墳が確認されている(陵域外にも数基ある)。