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後崇光太上天皇陵

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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京都府京都市伏見区丹後町にある後崇光太上天皇([[伏見宮]]貞成親王、後崇光院)の[[天皇陵|陵墓]]。[[伏見殿]]関連。[[松林院]]に隣接。'''松林院陵'''。
京都府京都市伏見区丹後町にある後崇光太上天皇([[伏見宮]]貞成親王、後崇光院)の[[天皇陵|陵墓]]。[[伏見殿]]関連。[[松林院]]に隣接。'''松林院陵'''。
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==歴史==
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貞成親王(1372-1456)は伏見宮第3代当主。『看聞御記』の著者として知られる。1428年(正長1年)、[[称光天皇]]が崩御し、親王長男の彦仁親王が即位。1447年(文安4年)11月27日、太上天皇の尊号を受けたが翌年2月に辞退した。貞成親王は伏見から東洞院御所に移り1456年(康正2年)8月29日、崩御。1456年(康正2年)9月4日、伏見[[大光明寺]]で火葬。[[月橋院]]の過去帳に松林院に御墓所ありとある。1865年(慶応1年)、幕府の陵墓探索事業で誤って[[後深草天皇]]の火葬塚とされた。1905年(明治38年)、陵墓伝説地となり、1917年(大正6年)7月に後崇光院の陵墓と決定され、伏見松林院陵と称した。(国史大辞典)
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2020年1月5日 (日) 時点における版

京都府京都市伏見区丹後町にある後崇光太上天皇(伏見宮貞成親王、後崇光院)の陵墓伏見殿関連。松林院に隣接。松林院陵

歴史

貞成親王(1372-1456)は伏見宮第3代当主。『看聞御記』の著者として知られる。1428年(正長1年)、称光天皇が崩御し、親王長男の彦仁親王が即位。1447年(文安4年)11月27日、太上天皇の尊号を受けたが翌年2月に辞退した。貞成親王は伏見から東洞院御所に移り1456年(康正2年)8月29日、崩御。1456年(康正2年)9月4日、伏見大光明寺で火葬。月橋院の過去帳に松林院に御墓所ありとある。1865年(慶応1年)、幕府の陵墓探索事業で誤って後深草天皇の火葬塚とされた。1905年(明治38年)、陵墓伝説地となり、1917年(大正6年)7月に後崇光院の陵墓と決定され、伏見松林院陵と称した。(国史大辞典)

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