ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
後崇光太上天皇陵
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2020年1月5日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
京都府京都市伏見区丹後町にある後崇光太上天皇(伏見宮貞成親王、後崇光院)の陵墓。伏見殿関連。菩提寺の松林院に隣接。伏見松林院陵。
歴史
貞成親王(1372-1456)は伏見宮第3代当主。『看聞御記』の著者として知られる。1428年(正長1年)、称光天皇が崩御し、親王長男の彦仁親王(後花園天皇)が即位。1447年(文安4年)11月27日、太上天皇の尊号を受けたが翌年2月に辞退した。貞成親王は伏見から東洞院御所に移り1456年(康正2年)8月29日、崩御。1456年(康正2年)9月4日、伏見大光明寺で火葬。月橋院の過去帳に松林院に御墓所ありとあるという。松林院の本尊阿弥陀仏は後崇光院の念持仏であり、後崇光院の位牌を祀るという(京都府伏見町誌)。1865年(慶応1年)、幕府の陵墓探索事業で誤って後深草天皇の火葬塚とされた。1905年(明治38年)、陵墓伝説地となり、1917年(大正6年)7月に後崇光院の陵墓と決定され、伏見松林院陵と称した。(国史大辞典)