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慶州・始祖廟

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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始祖廟は王都慶州にあった新羅王室宗廟神宮とも呼ばれた。

  • 6年1月:2代南解王、始祖廟を創立
  • 25年2月:3代儒理王、始祖廟を親祭し、大赦を行った。
  • 58年2月:4代脱解王、始祖廟を親祭した。
  • 81年2月:5代婆娑王、始祖廟を親祭した。
  • 113年2月:6代祇摩王、始祖廟を親祭した。
  • 135年1月:7代逸聖王、始祖廟を親祭した。
  • 155年1月:8代阿達羅王、始祖廟を親祭し、大赦を行った。
  • 170年2月:始祖廟を修復。
  • 185年1月:9代伐休王、始祖廟を親祭し、大赦を行った。
  • 197年1月:10代奈解王、始祖廟に参詣。
  • 198年4月:始祖廟の前の臥柳が自然にたちあがったという。
  • 205年8月:狐が金城や始祖廟の庭で鳴いた。
  • 230年7月:11代助賁王、始祖廟に参詣。
  • 247年7月:12代沾解王、始祖廟に参詣。
  • 263年2月:13代味鄒王、「国祖廟」を親祭し、大赦を行った。
  • 285年1月:14代儒礼王、始祖廟に参詣。
  • 299年2月:15代基臨王、始祖廟を祭った。
  • 311年2月:16代訖解王、始祖廟を親祭した。
  • 358年2月:17代奈勿王、始祖廟を親祭。すると紫雲が廟の上を巡り、神雀が廟の庭に集まった。
  • 362年4月:始祖廟の庭の2本の木が枝を一つに連ねた。
  • 404年2月:18代実聖王、始祖廟を参詣した。
  • 418年1月:19代訥祇王、始祖廟を参詣した。
  • 435年4月:19代訥祇王、始祖廟を祭った。2月の歴代陵墓の修復と関係あるか。
  • 459年2月:20代慈悲王、参詣
  • 480年2月:21代〓知王、祭る
  • 485年4月:21代〓知王、親祭。墓守20家を増した。
  • 487年2月:21代〓知王、生誕地の奈乙に(別個に)神宮を創設。同書「祭祀志」では22代智証王の代の創建とする。
  • 495年1月:21代〓知王、神宮を親祭。
  • 502年3月:22代智証王、神宮を親祭。
  • 516年1月:23代法興王、神宮を親祭。
  • 577年2月:25代真智王、神宮を親祭。大赦を行った。
  • 580年2月:26代真平王、神宮を親祭。
  • 633年1月:27代善徳女王、神宮を親祭。大赦。1年間、租調を免除。
  • 647年11月:28代真徳女王、神宮を親祭。
  • 682年1月:31代神文王、神宮を親祭。大赦
  • 694年1月:32代孝昭王、神宮を親祭。大赦。
  • 703年1月:33代聖徳王、神宮を親祭。
  • 744年4月:35代景徳王、神宮を親祭。
  • 766年2月:36代恵恭王、神宮を親祭。
  • 781年2月:37代宣徳王、神宮を親祭。
  • 787年2月:38代元聖王、神宮を親祭。大赦。
  • 801年2月:40代哀荘王、始祖廟に参詣。五廟制度を改正。
  • 802年1月:40代哀荘王、神宮を親祭。
  • 810年2月:41代憲徳王、神宮を親祭。
  • 813年2月:41代憲徳王、始祖廟に参詣。
  • 827年1月:42代興徳王、神宮を親祭。
  • 833年4月:42代興徳王、始祖廟に参詣。
  • 841年7月:46代文聖王の時代、5匹の虎が神宮の園内に入った。
  • 858年1月:47代憲安王、神宮を親祭。
  • 862年2月:48代景文王、神宮を親祭。
  • 872年2月:48代景文王、神宮を親祭。
  • 924年10月:55代景哀王、神宮を親祭。大赦。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%85%B6%E5%B7%9E%E3%83%BB%E5%A7%8B%E7%A5%96%E5%BB%9F」より作成

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