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摂津・大隅神社 - SHINDEN

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摂津・大隅神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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|応神天皇離宮の大隅宮跡に鎮座する神社。
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|大阪府大阪市東淀川区大桐5丁目14-81
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*[[応神天皇旧跡]]
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*[[歴代天皇宮跡]]
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'''大隅神社'''は応神天皇の離宮跡に鎮座する神社。祭神は、「応神天皇、別雷神」である(『平成祭礼データ』)。『日本書紀』によると、応神天皇は即位22年3月に'''大隅宮'''に行幸している。あるいは、『日本書紀』は応神天皇が崩御したのは大隅宮であるという別説を掲げている。大隅島はいわゆる八十島の一つといわれる。応神天皇崩御後に宮跡に祀ったのが創始とされる。その後、漂着した賀茂神社の神体を合祀したという(『平成祭礼データ』)。あるいは、大隅宮跡は大隅神社のある大道村の西側にあり、祠が祀られていたともいう(『大阪府全志3』398)。1872年(明治5年)、村社に列格し、1873年(明治6年)大隅神社と改称し(あるいは1871年(明治4年))、1907年(明治40年)6月20日、神饌幣帛料供進神社に指定された。(『平成祭礼データ』、『大阪府全志3』398)
'''大隅神社'''は応神天皇の離宮跡に鎮座する神社。祭神は、「応神天皇、別雷神」である(『平成祭礼データ』)。『日本書紀』によると、応神天皇は即位22年3月に'''大隅宮'''に行幸している。あるいは、『日本書紀』は応神天皇が崩御したのは大隅宮であるという別説を掲げている。大隅島はいわゆる八十島の一つといわれる。応神天皇崩御後に宮跡に祀ったのが創始とされる。その後、漂着した賀茂神社の神体を合祀したという(『平成祭礼データ』)。あるいは、大隅宮跡は大隅神社のある大道村の西側にあり、祠が祀られていたともいう(『大阪府全志3』398)。1872年(明治5年)、村社に列格し、1873年(明治6年)大隅神社と改称し(あるいは1871年(明治4年))、1907年(明治40年)6月20日、神饌幣帛料供進神社に指定された。(『平成祭礼データ』、『大阪府全志3』398)

2011年4月5日 (火) 時点における版

小竹八幡宮
しの はちまんぐう
概要 応神天皇離宮の大隅宮跡に鎮座する神社。
所在地 大阪府大阪市東淀川区大桐5丁目14-81
所在地(旧国郡) 摂津国西成郡
社格など 村社
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大隅神社は応神天皇の離宮跡に鎮座する神社。祭神は、「応神天皇、別雷神」である(『平成祭礼データ』)。『日本書紀』によると、応神天皇は即位22年3月に大隅宮に行幸している。あるいは、『日本書紀』は応神天皇が崩御したのは大隅宮であるという別説を掲げている。大隅島はいわゆる八十島の一つといわれる。応神天皇崩御後に宮跡に祀ったのが創始とされる。その後、漂着した賀茂神社の神体を合祀したという(『平成祭礼データ』)。あるいは、大隅宮跡は大隅神社のある大道村の西側にあり、祠が祀られていたともいう(『大阪府全志3』398)。1872年(明治5年)、村社に列格し、1873年(明治6年)大隅神社と改称し(あるいは1871年(明治4年))、1907年(明治40年)6月20日、神饌幣帛料供進神社に指定された。(『平成祭礼データ』、『大阪府全志3』398)

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