ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

摂津・毫摂寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(?成立)
24行: 24行:
file:摂津毫摂寺-06.jpeg|
file:摂津毫摂寺-06.jpeg|
file:摂津毫摂寺-07.jpeg|開基堂
file:摂津毫摂寺-07.jpeg|開基堂
-
file:摂津毫摂寺-08.jpeg|
+
file:摂津毫摂寺-08.jpeg|毫摂寺を兼務した[[本照寺]]15世の法広(1751-1819)の記念碑
file:摂津毫摂寺-09.jpeg|
file:摂津毫摂寺-09.jpeg|
file:摂津毫摂寺-10.jpeg|
file:摂津毫摂寺-10.jpeg|

2023年1月29日 (日) 時点における版

摂津毫摂寺-03.jpeg

毫摂寺(ごうしょうじ)は、兵庫県宝塚市にある浄土真宗寺院。浄土真宗本願寺派真宗出雲路派本山越前毫摂寺と由来を同じくし、京都・毫摂寺の後継寺院の一つ。小浜御坊。寺内町小浜(こはま)を形成。山号は出雲路山。(参考:同名寺院毫摂寺


歴史

起源

京都毫摂寺は丹波の乗専が創建。4世の善幸(越前毫摂寺の伝では5世)は伽藍が戦乱で焼失したため、次男の善鎮と共に越前に移ったが、長男の善秀は京都に残った。 まもなく善秀は摂津小浜(こはま)に移った。 文明6年(1474)6世の善鎮は蓮如に帰依し、8世善秀は天文5年(1536)に本堂を造営したと伝える。 ただ史料では文明15年(1483)に蓮如が有馬温泉に湯治に行った時、小浜や毫摂寺ではなく、すぐ近くの舞谷(米谷)に滞在しており、まだ寺院はなかったと考えられている。善秀、善鎮の名も重複しており、別人物なのか同一人物なのかよく分からない。善幸も善智と混同されて記録されることがあると言われ、伝承が錯綜している。

成立

『摂陽群談』によると明応年間(1492-1501)に小浜荘が開かれた時に毫摂寺善秀が関与しており、この時までには小浜に成立していたのだろう。順興寺実従が永禄3年(1560)に有馬温泉に行った時は毫摂寺で駕籠を用意しており、拠点になっていたことが分かる。 豊臣秀吉も有馬温泉に向かう途中で毫摂寺に滞在したという。 乗専筆の書を所蔵する。

(日本歴史地名大系)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%91%82%E6%B4%A5%E3%83%BB%E6%AF%AB%E6%91%82%E5%AF%BA」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール