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新薬師寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2017年2月14日 (火) 時点における版
新薬師寺(しんやくしじ)は、奈良県奈良市にある薬師信仰の南都寺院。古代の官寺二十五大寺・十五大寺の一つで、広大な境内と東大寺大仏殿より大型の本堂を持っていたが衰退した。鎮守は、鏡神社。華厳宗別格本山。日輪山。香薬師寺、香山薬師寺。(参考同名寺院薬師寺 (同名))
歴史
747年(天平19年)、光明皇后が聖武天皇の眼病平癒のために創建。七仏薬師を祀った。780年(宝亀11年)、落雷で伽藍焼失。再建されるが962年(応和2年)南大門と金堂が台風で倒壊した。鎌倉時代に貞慶や明恵が再興した。江戸時代には100石の寺領を得た。
創建当初は440m四方の大きな境内地を持った。近年、奈良教育大学構内から約68mの横幅を持つ基壇跡が出土し、七仏薬師を祀った金堂の跡と推定されている。
もともとは春日山の山中にあったともいうが諸説ある。現在も香山堂跡という場所があり、そこから現在地に遷ったという。
元来の本尊は七仏薬師だったが、現在は平安時代の薬師如来像を祀る。十二神将は石淵寺から遷されたものと言われる。現在の本堂は奈良時代の建造物だが、当初の金堂ではなく別の部分だったと思われるが、どの伽藍の建物だったのか判明していない。(『週刊 古寺をゆく』別冊6「新薬師寺と春日野の名刹」ほか)