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日前神宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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(?紀伊国造)
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==組織==
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===紀国造===
===紀国造===
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[[紀氏]]。紀伊の[[国造]][[岩橋千塚]]は国造の墓所と考えられている。[[日前神宮]]・[[国懸神宮]]の神主職を世襲する。
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[[紀氏]]。紀伊の[[国造]]。紀伊国造。木国造。[[岩橋千塚]]は国造の墓所と考えられている。[[日前神宮]]・[[国懸神宮]]の神主職を世襲する。
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*1天道根命()<>:[[神皇産霊尊]]の五世孫。[[神武天皇]]から国造に任命されたという。
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*4久志多麻命
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*6宇遅比古命:菟道彦。宇豆比古。[[武内宿禰]]の生母の影媛は、宇遅比古命の娘とも妹ともいう。
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*6宇遅比古命()<>:菟道彦。宇豆比古。[[武内宿禰]]の生母の影媛は、宇遅比古命の娘とも妹ともいう。
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*17忍勝(生没年不詳):583年、百済に派遣される。押勝。
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*35紀槻雄
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*39紀行義()<>:紀奉世の孫。父は紀文煥で中央氏族の[[紀氏]]か。以後、紀朝臣を称す。
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*40紀孝経:高経、教経とも。
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*42紀孝弘:教弘とも
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*48紀良忠:紀三井寺に隠棲。「紀三井寺国造」と呼ばれた。
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*53紀宣保:宣康
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*54紀宣親(1216-1274)<1225->:隠退後の1265年(文永2年)出家して妙蓮と名乗る。紀三井寺に隠棲。1269年(文永6年)、叡尊を日前宮・紀三井寺に招いて菩薩戒を受けた。叡尊とは婚戚だったと考えられている。「後紀三井寺国造」と呼ばれた。
*54紀宣親(1216-1274)<1225->:隠退後の1265年(文永2年)出家して妙蓮と名乗る。紀三井寺に隠棲。1269年(文永6年)、叡尊を日前宮・紀三井寺に招いて菩薩戒を受けた。叡尊とは婚戚だったと考えられている。「後紀三井寺国造」と呼ばれた。
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*55紀淑文
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*57紀俊文(生没年不詳)<>:
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*58紀親文(生没年不詳)<-1340->:最初、南朝に付いたがのち北朝に転じた。
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*59紀俊長(生没年不詳)<-1405>:1405年出家して摂津琴浦に隠居。
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*64紀俊連(生没年不詳)<-1489->:飛鳥井雅親の娘婿となり、蹴鞠を伝授される。
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*66紀光雄
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*67紀忠雄(?-1590)<>:豊臣秀吉軍に神宮を焼かれ、高野山に逃れた。天正18年8月30日死去。
*67紀忠雄(?-1590)<>:豊臣秀吉軍に神宮を焼かれ、高野山に逃れた。天正18年8月30日死去。
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*68紀忠光
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*75紀三冬
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*75紀三冬()<>:[[藤原氏]]飛鳥井家の出身。
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*76紀尚長
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*77紀俊尚
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*78紀俊秀(1870-1940):紀伊国造家の当主。男爵。大正12年和歌山市長。
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*78紀俊秀(1870-1940)<>:男爵。大正12年和歌山市長。
(諸系譜[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10301746]、『和歌山史要』[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1113827/193])
(諸系譜[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10301746]、『和歌山史要』[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1113827/193])

2019年1月5日 (土) 時点における版

日前神宮
ひのくま じんぐう
Hinokuma-kunikakasu-jingu-hinokuma (13).jpg様々な境内社が並ぶ
概要 神鏡を祀る神社。
奉斎 日前大神
(土岐昌訓論文)
所在地 和歌山県和歌山市秋月365
所在地(旧国郡) 紀伊国名草郡
所属(現在) (単立)
格式など 式内社名神大社紀伊国一宮官幣大社
関連記事 神器奉斎神社


目次

概要

日前神宮(ひのくま・じんぐう)は、和歌山県和歌山市にある、神器日像鏡(ひがたのかがみ)を祀る神社。国懸神宮と並び建つ。式内社名神大社紀伊国一宮官幣大社日前神宮・国懸神宮関連旧跡も参照。

歴史

境内

組織

紀国造

紀氏。紀伊の国造。紀伊国造。木国造。岩橋千塚は国造の墓所と考えられている。日前神宮国懸神宮の神主職を世襲する。

  • 1天道根命()<>:神皇産霊尊の五世孫。神武天皇から国造に任命されたという。
  • 2比古麻命()<>:
  • 3鬼刀禰命()<>:
  • 4久志多麻命()<>:
  • 5大名草彦命()<>:
  • 6宇遅比古命()<>:菟道彦。宇豆比古。武内宿禰の生母の影媛は、宇遅比古命の娘とも妹ともいう。
  • 7舟本命()<>:
  • 8夜都賀志彦命()<>:
  • 9等与美々命()<>:豊耳
  • 10豊布流()<>:以後、紀大直となる。
  • 11塩籠()<>:
  • 12禰賀志富()<>:
  • 13忍()<>:
  • 14国見()<>:
  • 15麻佐手()<>:
  • 16国勝()<>:
  • 17忍勝(生没年不詳)<>:583年、百済に派遣される。押勝。
  • 18大海()<>:
  • 19忍穂()<>:
  • 20牟婁()<>:
  • 21石牟()<>:
  • 22摩祖()<>:直祖
  • 23紀古麿()<>:
  • 24紀林直()<>:
  • 25紀千島()<>:
  • 26紀足国()<>:
  • 27紀豊島()<>:
  • 28紀吉継()<>:
  • 29紀豊()<>:
  • 30紀五百友()<>:
  • 31紀国栖()<>:国井
  • 32紀豊成()<>:
  • 33紀高継()<>:
  • 34紀弘渕()<>:弘淵
  • 35紀槻雄()<>:和歌山市坂田の天台宗了法寺を創建。
  • 36紀広世()<>:
  • 37紀有守()<>:
  • 38紀奉世()<>:
  • 39紀行義()<>:紀奉世の孫。父は紀文煥で中央氏族の紀氏か。以後、紀朝臣を称す。
  • 40紀孝経()<>:高経、教経とも。
  • 41紀義孝()<>:
  • 42紀孝弘()<>:教弘とも
  • 43紀孝長()<>:
  • 44紀孝季()<>:
  • 45紀経佐()<>:
  • 46紀良守()<>:淑守
  • 47紀良佐()<>:
  • 48紀良忠()<>:紀三井寺に隠棲。「紀三井寺国造」と呼ばれた。
  • 49紀良平()<>:
  • 50紀良宣()<>:淑宣
  • 51紀宣俊()<>:
  • 52紀宣宗()<>:
  • 53紀宣保()<>:宣康
  • 54紀宣親(1216-1274)<1225->:隠退後の1265年(文永2年)出家して妙蓮と名乗る。紀三井寺に隠棲。1269年(文永6年)、叡尊を日前宮・紀三井寺に招いて菩薩戒を受けた。叡尊とは婚戚だったと考えられている。「後紀三井寺国造」と呼ばれた。
  • 55紀淑文()<>:
  • 56紀淑氏()<>:
  • 57紀俊文(生没年不詳)<>:
  • 58紀親文(生没年不詳)<-1340->:最初、南朝に付いたがのち北朝に転じた。
  • 59紀俊長(生没年不詳)<-1405>:1405年出家して摂津琴浦に隠居。
  • 60紀行文(生没年不詳)<-1429->:
  • 61紀行長()<>:
  • 62紀行孝()<>:
  • 63紀親弘()<>:
  • 64紀俊連(生没年不詳)<-1489->:飛鳥井雅親の娘婿となり、蹴鞠を伝授される。
  • 65紀俊訓()<>:
  • 66紀光雄()<>:
  • 67紀忠雄(?-1590)<>:豊臣秀吉軍に神宮を焼かれ、高野山に逃れた。天正18年8月30日死去。
  • 68紀忠光()<>:
  • 69紀昌長()<>:
  • 70紀俊弘()<>:
  • 71紀俊範()<>:
  • 72紀豊文()<>:
  • 73紀俊敬()<>:
  • 74紀慶俊()<>:
  • 75紀三冬()<>:藤原氏飛鳥井家の出身。
  • 76紀尚長()<>:
  • 77紀俊尚()<>:
  • 78紀俊秀(1870-1940)<>:男爵。大正12年和歌山市長。

(諸系譜[1]、『和歌山史要』[2]


  • 紀俊武

画像

参考文献

  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%97%A5%E5%89%8D%E7%A5%9E%E5%AE%AE」より作成

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