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本願寺帯広別院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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北海道帯広市にある[[西本願寺]]の[[浄土真宗本願寺派の別院寺院|別院]]。
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'''本願寺帯広別院'''は北海道帯広市東二条南にある[[西本願寺]]の[[浄土真宗本願寺派の別院寺院|別院]]。
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== 歴史 ==
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1895年(明治28年)、金目府玄が本山から十勝国布教の命を受け本尊絵像を持って北海道に入ったが機が熟さずとして門徒の寺井長吉に本尊を預けて引き揚げた。1899年(明治32年)、山本恵似が来住して東一条南6丁目の民家に説教所を開設。金目府玄が残した絵像を本尊とした。
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1903年(明治36年)、空家となっていた大通5丁目の[[曹洞宗]]永祥寺の説教所を借り受けて移転。翌年本堂を建立。1906年(明治39年)、大谷光明新門が巡教。翌年、別院となった。1908年(明治41年)、本堂など落慶。
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1931年(昭和6年)、現在地に移転して本堂再建。(日本歴史地名大系)
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2018年12月13日 (木) 時点における版

本願寺帯広別院は北海道帯広市東二条南にある西本願寺別院

歴史

1895年(明治28年)、金目府玄が本山から十勝国布教の命を受け本尊絵像を持って北海道に入ったが機が熟さずとして門徒の寺井長吉に本尊を預けて引き揚げた。1899年(明治32年)、山本恵似が来住して東一条南6丁目の民家に説教所を開設。金目府玄が残した絵像を本尊とした。 1903年(明治36年)、空家となっていた大通5丁目の曹洞宗永祥寺の説教所を借り受けて移転。翌年本堂を建立。1906年(明治39年)、大谷光明新門が巡教。翌年、別院となった。1908年(明治41年)、本堂など落慶。 1931年(昭和6年)、現在地に移転して本堂再建。(日本歴史地名大系)

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