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本願寺日高別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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本願寺日高別院(ほんがんじ・ひだか・べついん)は和歌山県御坊市御坊にある浄土真宗寺院。浄土真宗本願寺派。西本願寺の別院。御坊。寺号は西円寺。日高御坊。吉原坊舎。薗坊舎。通称は大御堂(おみど)。(参考:同名寺院大御堂)
歴史
1532年(天文1年)、亀山城主湯河直光は吉原(和歌山県日高郡美浜町吉原)に坊舎を創建。次男の信春が出家して唯可と称し開山となった。唯可は石山本願寺で証如に謁見し、御影を与えられ、祐存の名と吉原坊舎の寺名を許されたという。
1585年(天正13年)豊臣秀吉の攻撃で焼失し、1595年(文禄4年)現在地に再建。本山掛所として薗坊舎と呼ばれた。1630年(寛永7年)、3世真了坊祐玄が本堂再建。1635年(寛永12年)、本山御影堂再建の功労で西円寺の寺号を許可された。 吉原の旧地には松見寺が建てられ、浄土真宗だったが天台宗に改称した。
4世祐賢は高家村の道場を入手し、別寺とした。6世賢芸が「怠慢」として処分され高家村の別寺に蟄居。留守居役として美浜町三宝寺(和歌山県日高郡美浜町和田)と財部村好浄寺(和歌山県御坊市湯川町財部)が置かれた。1877年(明治10年)日高別院と称した。和歌山県日高郡日高町高家の西円寺は廃絶したが1925年(大正14年)に和歌山県御坊市湯川町富安の寺院が名前を継いだ。 (日本歴史地名大系)