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東京・松陰神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''松陰神社'''(しょういん・じんじゃ)は、東京都世田谷区若林にある[[吉田松陰]]を祀る[[霊社]]。[[府社]]。松陰の埋葬墓があり、また[[神葬祭墓地]]の[[松陰神社墓地]]がある。 | '''松陰神社'''(しょういん・じんじゃ)は、東京都世田谷区若林にある[[吉田松陰]]を祀る[[霊社]]。[[府社]]。松陰の埋葬墓があり、また[[神葬祭墓地]]の[[松陰神社墓地]]がある。 | ||
==歴史== | ==歴史== | ||
- | *1859年(安政6年) | + | *1859年(安政6年)10月27日:吉田松陰、[[小伝馬町牢屋敷]]で刑死。30歳。[[小塚原・回向院]]に埋葬された。 |
- | *1863年(文久3年) | + | *1863年(文久3年)1月:高杉晋作、伊藤博文、山尾庸三、白井小助、赤根武人らによって[[毛利家]]別邸のある大夫山に密かに遺骸を改葬。 |
*幕府、吉田松陰墓を破壊 | *幕府、吉田松陰墓を破壊 | ||
*1868年(明治1年):木戸孝允らが修復。 | *1868年(明治1年):木戸孝允らが修復。 |
2022年8月21日 (日) 時点における版
松陰神社(しょういん・じんじゃ)は、東京都世田谷区若林にある吉田松陰を祀る霊社。府社。松陰の埋葬墓があり、また神葬祭墓地の松陰神社墓地がある。
歴史
- 1859年(安政6年)10月27日:吉田松陰、小伝馬町牢屋敷で刑死。30歳。小塚原・回向院に埋葬された。
- 1863年(文久3年)1月:高杉晋作、伊藤博文、山尾庸三、白井小助、赤根武人らによって毛利家別邸のある大夫山に密かに遺骸を改葬。
- 幕府、吉田松陰墓を破壊
- 1868年(明治1年):木戸孝允らが修復。
- 1869年(明治2年):鳥居と参道敷石を整備
- 1882年(明治15年)11月21日:墓所の傍らに吉田松陰の神霊を祀って創建。
- 1928年(昭和3年):社殿造営。
境内
資料
- 松陰神社境内略図[1]