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東山・法皇寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''法皇寺'''は京都府京都市左京区法皇寺町付近にあった[[臨済宗]] | + | '''法皇寺'''は京都府京都市左京区法皇寺町付近にあった[[臨済宗]]寺院。中世禅宗寺院としての[[乙訓寺]]の後身寺院。[[南禅寺]]牧護庵に併合。(参考:同名寺院[[法皇寺]]) |
宇多法皇が乙訓寺を行宮とし、法皇寺と呼ばれた。 | 宇多法皇が乙訓寺を行宮とし、法皇寺と呼ばれた。 | ||
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足利義満が南禅寺53世の伯英徳俊に与え、南禅寺の別院とした。 | 足利義満が南禅寺53世の伯英徳俊に与え、南禅寺の別院とした。 | ||
- | + | 1693年3月、護持院隆光は、南禅寺金地院の剛室崇寛に対し、乙訓寺の合体霊像は空海の像であり、禅宗の祖師の像ではないと訴え、金地院もこれを認めた。 | |
+ | 6月、隆光は東山文殊院の地を南禅寺に替え地として提供することを将軍徳川綱吉に請願し、7月に許可を得た。(豊山伝通記、京都金地院公文帳) | ||
+ | よって禅宗寺院としての法皇寺は、二条川東(左京区法皇寺町・北門前町・東門前町付近)に移転した。 | ||
1878年、南禅寺金地院に移転。 | 1878年、南禅寺金地院に移転。 | ||
- | + | 1888年、南禅寺牧護庵に併合された。 | |
+ | 牧護庵に寺号碑がある。 | ||
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2022年8月28日 (日) 時点における版
法皇寺は京都府京都市左京区法皇寺町付近にあった臨済宗寺院。中世禅宗寺院としての乙訓寺の後身寺院。南禅寺牧護庵に併合。(参考:同名寺院法皇寺)
宇多法皇が乙訓寺を行宮とし、法皇寺と呼ばれた。 足利義満が南禅寺53世の伯英徳俊に与え、南禅寺の別院とした。 1693年3月、護持院隆光は、南禅寺金地院の剛室崇寛に対し、乙訓寺の合体霊像は空海の像であり、禅宗の祖師の像ではないと訴え、金地院もこれを認めた。 6月、隆光は東山文殊院の地を南禅寺に替え地として提供することを将軍徳川綱吉に請願し、7月に許可を得た。(豊山伝通記、京都金地院公文帳) よって禅宗寺院としての法皇寺は、二条川東(左京区法皇寺町・北門前町・東門前町付近)に移転した。 1878年、南禅寺金地院に移転。 1888年、南禅寺牧護庵に併合された。 牧護庵に寺号碑がある。