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松蔭霊社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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正徳4年の創建と推定される。同年7月20日に[[吉田家]]から「宣命」を授けられた記録がある(亀府墜誌)。 | 正徳4年の創建と推定される。同年7月20日に[[吉田家]]から「宣命」を授けられた記録がある(亀府墜誌)。 | ||
正徳2年説もある(三国地志) | 正徳2年説もある(三国地志) | ||
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明治41年4月19日、椿大神社に合祀された。 | 明治41年4月19日、椿大神社に合祀された。 | ||
2019年5月26日 (日) 時点における版
松蔭霊社は三重県鈴鹿市山本町にあった領主奉斎神社。亀山藩板倉家。椿大神社境内にあったが、本社に合祀。跡地には椿岸神社がある。
歴史
正徳4年の創建と推定される。同年7月20日に吉田家から「宣命」を授けられた記録がある(亀府墜誌)。 正徳2年説もある(三国地志) 享保3年12月11日酉刻に遷宮。明治末の椿大神社境内絵図に社殿が描かれている。 明治41年4月19日、椿大神社に合祀された。
祭神については板倉重常説、板倉重冬説、板倉家の祖説、板倉重常及び板倉家の祖説がある。 例祭が3月23日(22日とも)とされるので3月23日に亡くなった板倉重冬か。御神体は木像という。
鳥居が御舟石前に、灯籠が椿岸神社前に現存するという。 (椿大神社造営誌)