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武蔵・光明寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | 天平年間に行基が創建。弘仁年間に空海が再建し、関東高野山と呼ばれるほどの大伽藍があった。奥州からの帰りに証空が立ち寄るが、荒廃ぶりをみて再建した。あるいは[[西谷流]]開祖法興浄音(証空弟子)の法孫の'''行観'''(のち[[禅林寺]] | + | 天平年間に行基が創建。弘仁年間に空海が再建し、関東高野山と呼ばれるほどの大伽藍があった。奥州からの帰りに証空が立ち寄るが、荒廃ぶりをみて再建した。あるいは[[西谷流]]開祖法興浄音(証空弟子)の法孫の'''行観'''(のち[[禅林寺]]19世)が創建したともいう(『禅林寺誌』)。のち[[良忠]]により[[鎮西流]]に転じたという。 |
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2015年8月23日 (日) 時点における版
光明寺 こうみょうじ | |
概要 | 浄土宗西山派関東進出の拠点寺院。 |
奉斎 | |
所在地 | 東京都大田区鵜の木1-23 |
所在地(旧国郡) | 武蔵国 |
所属(現在) | 浄土宗知恩院派 |
格式など | |
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目次 |
概要
光明寺は、東京都大田区にある西山流開祖証空旧跡の浄土宗寺院。証空が中興した。浄土宗の関東進出の拠点。証空の墓がある。「関東弘通念仏最初道場」の石碑がある。現在は浄土宗知恩院派。鵜木光明寺。鵜ノ木光明寺。(参考 同名寺院光明寺)
天平年間に行基が創建。弘仁年間に空海が再建し、関東高野山と呼ばれるほどの大伽藍があった。奥州からの帰りに証空が立ち寄るが、荒廃ぶりをみて再建した。あるいは西谷流開祖法興浄音(証空弟子)の法孫の行観(のち禅林寺19世)が創建したともいう(『禅林寺誌』)。のち良忠により鎮西流に転じたという。
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参考文献
- 高橋慎一朗、2007『浄土宗西山派史話 人と寺院』
- 中西随功監修、2011『証空事典』東京堂出版