ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
水無瀬神宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2020年5月23日 (土) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
水無瀬神宮 みなせ じんぐう | |
概要 | 後鳥羽天皇を祀った神社。 |
所在地 | 大阪府三島郡島本町広瀬3-10-24 |
所在地(旧国郡) | 摂津国島上郡 |
社格など | 官幣大社 |
祭神 | 後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇 |
関連記事 | |
目次 |
概要
水無瀬神宮(みなせ・じんぐう)は、大阪府三島郡島本町にある後鳥羽天皇を祀る霊社。もと水無瀬御影堂、水無瀬法華堂と称した。明治になり、同様に承久の乱に関与した土御門天皇と順徳天皇も合祀された。三帝を祀る神社としては、鎌倉の新宮神社(鶴岡八幡宮内)や配流先に創建された後鳥羽帝の隠岐神社、順徳帝の真野宮、土御門帝の阿波神社がある。
由緒
歴史
社殿構成
組織
水無瀬家
- 水無瀬親信(1137-1197):水無瀬家の祖。後鳥羽天皇の叔父に当たる。
- 水無瀬親兼():後鳥羽天皇の側近。承久の乱の後、上皇にならい出家。
- 水無瀬信成():後鳥羽天皇の側近。
- 水無瀬親成(生没年不詳):父信成と共に後鳥羽上皇に忠節を尽くす。1239年(延応1年)の上皇の遺命で水無瀬離宮を与えられ、菩提を弔うように命じられる。水無瀬御影堂を創建。水無瀬家を称すのはこれ以後。
- 水無瀬良親():
- 水無瀬具良():
- 水無瀬具兼():
- 水無瀬具隆():
- 水無瀬具景():
- 水無瀬重親():
- 水無瀬季兼():三条公冬の子。重親の養子となる。
- 水無瀬英兼():
- 水無瀬兼成():三条西公条の子。英兼の養子。
- 水無瀬氏成():
- 水無瀬兼俊():
- 水無瀬氏信():
- 水無瀬兼豊():養子。
- 水無瀬氏孝():
- 水無瀬兼条():氏孝の子。
- 水無瀬経業():氏孝の子。兄兼条の養子となる。
- 水無瀬師成():
- 水無瀬友信():
- 水無瀬忠成():養子。氏孝の子。
- 水無瀬成貞():
- 水無瀬有成():
- 水無瀬教成():
- 水無瀬経家():養子。
羽林家。分家として七条家・町尻家・桜井家・山井家がある。近くの浄土宗阿弥陀院が水無瀬家の菩提寺。
宮司
- 水無瀬忠輔():子爵。経家の養子。
- 水無瀬忠政()<-1925-1941->:子爵。
写真
資料
古典籍
参考文献
- 魚澄惣五郎1926「南北朝時代に於ける水無瀬御影堂」『龍谷大学論叢』266
- 魚澄惣五郎1931「水無瀨御影堂の信仰」『古社寺の研究』[3]
- 魚澄惣五郎1940「御所藏文書より見たる水無瀬神宮の沿革」[4]
- 1930『大阪府官幣社現行特殊慣行神事』[5]
- 天坊幸彦1940「郷土史より見たる水無瀬神宮」[6]
- 高島屋編1941『後鳥羽天皇七百年式年祭水無瀬神宮隠岐神社奉納刀匠昭和の御番鍛冶作刀展』[7]
- 1941『官国幣社特殊神事調』3[8]
- 藤井貞文1956「後鳥羽上皇御意志の成立-怨霊思想の解明の一として」『神道宗教』13
- 藤井貞文1963「後鳥羽上皇御霊の発動」『神道宗教』32
- 田邑二枝1971『隠岐の後鳥羽院抄』
- 水無瀬神宮1979『水無瀬神宮と周辺の史跡』
- 水無瀬神宮1992『水無瀬神宮物語』
- 佐野和史1980「水無瀬神宮三帝神霊還遷の経緯:皇霊奉斎神社創立の一考察」『神道宗教』
- 松林靖明1985「『承久記』と後鳥羽院の怨霊」[9]
- 村重寧1990「後鳥羽院像と信実」『MUSEUM』476
- 佐々木孝浩1994「追善歌会としての影供:後鳥羽院影供についての一考察」[10]
- 山田雄二1997「鎌倉時代の天皇陵:後鳥羽・土御門・順徳を中心に」『季刊考古学』58
- 山田雄二1998「崇徳院怨霊と後鳥羽院怨霊の交錯:『保元物語』崇徳院怨霊譚の形成」『日本宗教文化史研究』
- 山田雄司2001『崇徳院怨霊の研究』
- 山田雄司ウェブサイト「崇徳院・後鳥羽院怨霊関係文献」[11]
- 上野武 1999「隠岐本と後鳥羽院怨霊の鎮魂--冷泉家時雨亭文庫蔵本 『隠岐本 新古今和歌集』 の成立について」
- 遠藤一2001「後鳥羽院の〈怨霊〉とその成仏について-親鸞史料から見た」
- 徳永誓子2004「水無瀬御影堂と臨済宗法灯派」『日本宗教文化史研究』
- 徳永誓子2005「後鳥羽院怨霊と後嵯峨皇統」『日本史研究』512
- 布谷陽子2005「承久の乱後の王家と後鳥羽追善仏事」『中世の地域と宗教』
- 岸泰子2005「寛政度内裏造営以降の内侍所仮殿の造営・下賜と神嘉殿」[12]
- 戸田靖久2010「水無瀬御影堂の宗教的運営体制:「供僧」の分析を通して」[13]
- 2013「峰定寺阿弥陀三尊像の伝来をめぐって : 水無瀬御影堂旧在の後鳥羽院関係仏か」『日本宗教文化史研究』
- 奥崎智道・藤澤彰・赤石憲祐2013「近代佐渡における真野宮御造営と3代目間島杢太郎について」[14]
- 龍口恭子2016「法燈国師と後鳥羽院」[15]
- 豊田裕章2019「水無瀬離宮(水無瀬殿)の空間構成と機能について」[ http://hdl.handle.net/11173/2837]