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水薬師寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年5月16日 (土)
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1795年(寛政7年)、慈雲飲光に帰依した開明門院([[桃園天皇]]生母、1717-1789、姉小路実武の娘)の発願で尼僧坊として水薬師寺を中興。 | 1795年(寛政7年)、慈雲飲光に帰依した開明門院([[桃園天皇]]生母、1717-1789、姉小路実武の娘)の発願で尼僧坊として水薬師寺を中興。 | ||
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- | + | 弁財天社の下に泉があり、護摩堂の前に弁慶石があり、慈雲の木像を祀るというが現状不詳。 | |
+ | [[東寺]]の末寺だった。 | ||
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2020年5月16日 (土) 時点における最新版
水薬師寺は京都市下京区西七条石井町にある慈雲ゆかりの真言宗寺院。本尊は薬師如来。真言宗単立。医王院。山号は塩通山。
歴史
902年(延喜2年)に聖宝がこの地にあった大池から薬師像を引き上げ奉安したのが始まりという。池は月の満ち欠けで塩が満ち引きし、「塩小路」の通りの名の由来となったという。元弘の変で焼失。 のち江戸時代の正保年間に京都所司代の板倉勝重が再興。
1795年(寛政7年)、慈雲飲光に帰依した開明門院(桃園天皇生母、1717-1789、姉小路実武の娘)の発願で尼僧坊として水薬師寺を中興。
桜町天皇、桃園天皇、後桃園天皇の三帝の菩提寺とした。開明門院の御殿の一部を移して尊牌殿としたという。
現在の本堂には恭明宮の旧材が多数使用されているという(京都社寺境内版画集[1])
弁財天社の下に泉があり、護摩堂の前に弁慶石があり、慈雲の木像を祀るというが現状不詳。 東寺の末寺だった。