ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

浄橋寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年1月25日 (月)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
 
1行: 1行:
'''浄橋寺'''は兵庫県西宮市生瀬町(摂津国有馬郡)にある[[証空]]ゆかりの[[浄土宗]]寺院。本尊は[[阿弥陀如来]]。[[西山浄土宗]]。
'''浄橋寺'''は兵庫県西宮市生瀬町(摂津国有馬郡)にある[[証空]]ゆかりの[[浄土宗]]寺院。本尊は[[阿弥陀如来]]。[[西山浄土宗]]。
-
 
== 歴史 ==
== 歴史 ==
証空が有馬温泉に向かう途中に山賊に出会ったが、山賊を教化した。山賊に教えて、武庫川の橋を架けさせ、その通行税を取って、生活費とすることを教えた。その管理を担う寺として当寺を建てたという。1243年(寛元1年)のことで[[後嵯峨天皇]]の[[勅願寺]]となった。
証空が有馬温泉に向かう途中に山賊に出会ったが、山賊を教化した。山賊に教えて、武庫川の橋を架けさせ、その通行税を取って、生活費とすることを教えた。その管理を担う寺として当寺を建てたという。1243年(寛元1年)のことで[[後嵯峨天皇]]の[[勅願寺]]となった。
-
明治12年の時点では[[天台宗]][[三鈷寺]]末だったが、
+
江戸時代、天台真言戒律浄土の四宗兼学で[[三鈷寺]]末で、明治2年5月26日天台宗となり、引き続き同寺の末寺となった(生瀬村地誌)
明治36年12月3日許可で、[[浄土宗西山光明寺派]][[山城・光明寺]]末に転派した(寺院明細帳)
明治36年12月3日許可で、[[浄土宗西山光明寺派]][[山城・光明寺]]末に転派した(寺院明細帳)
本堂の他、開山堂があり、証空、後嵯峨天皇、後土御門天皇、光格天皇、仁孝天皇、孝明天皇を祀る(寺院明細帳)。
本堂の他、開山堂があり、証空、後嵯峨天皇、後土御門天皇、光格天皇、仁孝天皇、孝明天皇を祀る(寺院明細帳)。
 +
==参考文献==
==参考文献==
 +
*生瀬村地誌:明治初年
*寺院明細帳:明治12年。1967『西宮市史7巻』所収
*寺院明細帳:明治12年。1967『西宮市史7巻』所収
*高橋慎一朗、2007『浄土宗西山派史話 人と寺院』
*高橋慎一朗、2007『浄土宗西山派史話 人と寺院』

2021年1月25日 (月) 時点における最新版

浄橋寺は兵庫県西宮市生瀬町(摂津国有馬郡)にある証空ゆかりの浄土宗寺院。本尊は阿弥陀如来西山浄土宗

歴史

証空が有馬温泉に向かう途中に山賊に出会ったが、山賊を教化した。山賊に教えて、武庫川の橋を架けさせ、その通行税を取って、生活費とすることを教えた。その管理を担う寺として当寺を建てたという。1243年(寛元1年)のことで後嵯峨天皇勅願寺となった。

江戸時代、天台真言戒律浄土の四宗兼学で三鈷寺末で、明治2年5月26日天台宗となり、引き続き同寺の末寺となった(生瀬村地誌) 明治36年12月3日許可で、浄土宗西山光明寺派山城・光明寺末に転派した(寺院明細帳)

本堂の他、開山堂があり、証空、後嵯峨天皇、後土御門天皇、光格天皇、仁孝天皇、孝明天皇を祀る(寺院明細帳)。


参考文献

  • 生瀬村地誌:明治初年
  • 寺院明細帳:明治12年。1967『西宮市史7巻』所収
  • 高橋慎一朗、2007『浄土宗西山派史話 人と寺院』
  • 中西随功監修、2011『証空事典』東京堂出版


脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%B5%84%E6%A9%8B%E5%AF%BA」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール