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清和院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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寺伝では平安時代初期に[[文徳天皇]]が染殿后妃のために、正親町の南に建てた仏心院が起源という。 | 寺伝では平安時代初期に[[文徳天皇]]が染殿后妃のために、正親町の南に建てた仏心院が起源という。 | ||
清和天皇が照空を招き、この寺で出家したという。 | 清和天皇が照空を招き、この寺で出家したという。 | ||
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*「清和院」『古事類苑』[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1874249/307] | *「清和院」『古事類苑』[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1874249/307] | ||
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2019年2月17日 (日) 時点における版
清和院(せいわいん)は京都府京都市上京区一観音町にある真言宗寺院。本尊は地蔵菩薩。真言宗智山派。通称は一本寺。仏心院。清和井院(せがいいん)。勢賀院(せかいん)。
歴史
清和天皇の御所「清和院」の後身と伝えるが、関係ははっきりしない。清和天皇の名は譲位後の御所である清和院の名に基づくが、寺伝では逆に清和天皇が滞在したため、清和院に改称したと伝える。
寺伝では平安時代初期に文徳天皇が染殿后妃のために、正親町の南に建てた仏心院が起源という。
清和天皇が照空を招き、この寺で出家したという。
京都・感応寺を合併。
- 「清和院」『古事類苑』[1]