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潮江天満宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''潮江天満宮'''(うしおえ・てんまんぐう)は、高知県高知市天神町(土佐国土佐郡)にある[[天満宮]]。祭神は[[菅原道真]]・菅原高視・北御方。[[県社]]。[[別表神社]]。 | '''潮江天満宮'''(うしおえ・てんまんぐう)は、高知県高知市天神町(土佐国土佐郡)にある[[天満宮]]。祭神は[[菅原道真]]・菅原高視・北御方。[[県社]]。[[別表神社]]。 | ||
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+ | *[[菅原道真]]: | ||
+ | *菅原高視:菅原道真の長男。父が大宰府に左遷されたように高視も土佐に左遷されてこの地に来たという。 | ||
+ | *北御方:菅原道真の妻。 | ||
+ | *[[天穂日命]]:[[菅原氏]]の祖神。 | ||
+ | *[[大海津見命]]: | ||
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+ | *901年(延喜1年):菅原道真が大宰府左遷になったとき、長男の菅原高視も土佐権守に左遷となった。現在の高見町のあたりに住んだと伝える。 | ||
道真の遺品の剣と鏡が[[度会春彦]]によって高視のもとにもたらされ、それを父の霊として祀ったのが潮江天満宮の始まりという。 | 道真の遺品の剣と鏡が[[度会春彦]]によって高視のもとにもたらされ、それを父の霊として祀ったのが潮江天満宮の始まりという。 | ||
元の鎮座地は現在の[[土佐・真如寺]]の地だったが、同寺の造営で現在地に遷座した。 | 元の鎮座地は現在の[[土佐・真如寺]]の地だったが、同寺の造営で現在地に遷座した。 | ||
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(『日本歴史地名大系』ほか) | (『日本歴史地名大系』ほか) | ||
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2024年2月18日 (日) 時点における版
潮江天満宮(うしおえ・てんまんぐう)は、高知県高知市天神町(土佐国土佐郡)にある天満宮。祭神は菅原道真・菅原高視・北御方。県社。別表神社。
目次 |
祭神
歴史
- 901年(延喜1年):菅原道真が大宰府左遷になったとき、長男の菅原高視も土佐権守に左遷となった。現在の高見町のあたりに住んだと伝える。
道真の遺品の剣と鏡が度会春彦によって高視のもとにもたらされ、それを父の霊として祀ったのが潮江天満宮の始まりという。 元の鎮座地は現在の土佐・真如寺の地だったが、同寺の造営で現在地に遷座した。 嘉永年間、社殿造営。1928年、社殿焼失。 のち再建。
社家は宮地家が世襲。 宮地神仙道の祖とされる宮地水位が著名。
(『日本歴史地名大系』ほか)
境内
名称 | 祭神など | 概要 |
---|---|---|
本社 | ||
霊杉 | ||
菅原高視碑 | 1933年(昭和8年)建立 | |
白太夫社 | 度会春彦 | |
若栄社 | 菅公に陪従の諸神霊並びに宮地正勝霊 | 宮地正勝は旧社家の宮地家の祖で、菅原高視に仕えたという。 |
大山祇神社 | 大山祇命 | 巨岩の上の巨石の隣にある |
早良宮 | 不詳 | 祭神不詳。元唐人町にあったが、別邸建設のために慶応年間に藤並神社御旅所に遷座。1870年(明治3年)3月、潮江天満宮に遷座。 |
島崎神社 | 島崎道和(島崎道久) | 島崎道和(島崎道久)は潮江天満宮の篤信者。1794年(寛政6年)10月創建。 |
(不詳) | ||
幡龍宮 | 龍神 | |
神霊舎 | 不詳 | |
(菅原高視墓) | 菅原高視 | 高知県高知市北高見町。邸宅跡という。 |
(白太夫神社) | 度会春彦 | 高知県高知市大津。 |
(度会春彦墓) | 度会春彦 | 高知県高知市大津。 |
画像
資料
- 西本明四1929『潮江村誌』「菅原高視朝臣の事蹟と天滿宮縁起」[1]