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独鈷寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年9月28日 (土)
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- | '''独鈷寺''' | + | '''独鈷寺'''は、福岡県糟屋郡新宮町立花(筑前国糟屋郡)にある[[天台宗]]寺院。805年、唐から[[最澄]]が帰国して一番初めに建てた寺院と伝える。[[天台別院]]。「立花口村六所権現社内薬師厨子銘」に「天台別院立華山独古寺」とある(『太宰管内志』)。 |
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+ | 独鈷寺にはかつては子院36坊があったという。現在残るのは西教坊という。 | ||
+ | (『日本歴史地名大系』ほか) | ||
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2019年9月28日 (土) 時点における最新版
独鈷寺は、福岡県糟屋郡新宮町立花(筑前国糟屋郡)にある天台宗寺院。805年、唐から最澄が帰国して一番初めに建てた寺院と伝える。天台別院。「立花口村六所権現社内薬師厨子銘」に「天台別院立華山独古寺」とある(『太宰管内志』)。
歴史
805年に唐から帰国した最澄は上陸した花鶴浜から布教に適した地を求めて独鈷杵と鏡を投げた。源四郎という猟師の案内で立花山の麓の巨石に落ちているのを発見。ここに独鈷寺を創建。 この時、源四郎に横大路の家名を与え、毘沙門天・法理の火・岩井の水を授けたという。横大路家の屋敷を千年家という。
独鈷寺にはかつては子院36坊があったという。現在残るのは西教坊という。 (『日本歴史地名大系』ほか)