ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
真宗大谷派名古屋別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2017年4月3日 (月) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
真宗大谷派名古屋別院(しんしゅうおおたには・なごや・べついん)は、愛知県名古屋市中区にある真宗大谷派の別院。名古屋御坊。(参考:同名寺院名古屋別院)
貞享年間(1684-1688)、東本願寺16代一如が常陸願入寺と水戸藩主徳川光圀を介して尾張藩主徳川光友に掛所設置を請願し認められた。元禄3年(1690)、袋町にあった泉龍寺支坊を掛所とした。翌年、光友は古渡城跡の現在地を寄進し、15年(1701)に御堂が完成した。のち文政6年(1823)に再建された。明治9年に名古屋別院となった。明治の東本願寺再建にあたっては名古屋に工作場が設けられるなど、事業の旗振り役を果たした。壮大な伽藍も名古屋空襲で焼失。昭和38年(1963)に至って復興された。
参考文献
- 木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部