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神峰山寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''神峰山寺'''(かぶさんじ)は、大阪府高槻市原にある[[毘沙門天信仰]]の[[天台宗]]寺院。日本最初の毘沙門天という。『口遊』にいう[[比叡山]]、[[比良山]]、[[伊吹山]]、[[神峰山]]、[[愛宕山]]、[[金峰山]]、[[葛城山]]の七高山の一つとされる。[[天台宗延暦寺派]]。一説に北1kmにある[[摂津・本山寺]]を奥之院とする。'''神峯山寺'''。宝塔院。山号は根本山。(参考:同名寺院[[神峰寺]])  
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'''神峰山寺'''(かぶさんじ)は、大阪府高槻市原(摂津国島上郡)にある[[毘沙門天信仰]]の[[天台宗]]寺院。日本最初の毘沙門天という。『口遊』にいう[[比叡山]]、[[比良山]]、[[伊吹山]]、[[神峰山]]、[[愛宕山]]、[[金峰山]]、[[葛城山]]の七高山の一つとされる。金毘羅童子([[金毘羅権現]]か)を地主神とするのも特色といえる。[[有栖川宮家]]の祈願所。[[天台宗延暦寺派]]。一説に北1kmにある[[摂津・本山寺]]を奥之院とする。'''神峯山寺'''。宝塔院。山号は根本山。(参考:同名寺院[[神峰寺]])  
==歴史==
==歴史==
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*697年(文武1年)[[役小角]]が創建。[[葛城山]]で修行中の役小角が北方に黄金の光を見つけ、神峰山で金毘羅童子に出会い、伽藍を建立。4体の毘沙門天を刻み、1体が神峰山に留められた。残りは[[鞍馬寺]]、[[信貴山]]、[[摂津・本山寺]]に飛翔していったという。
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*697年(文武1年)[[役小角]]が創建。[[葛城山]]で修行中の役小角が北方に黄金の光を見つけ、神峰山で地主神の金毘羅童子に出会い、伽藍を建立。4体の毘沙門天を刻み、1体が神峰山に留められた。残りは[[鞍馬寺]]、[[信貴山]]、[[摂津・本山寺]]に飛翔していったという。
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*721年:元正天皇、病気により祈願(大阪府史蹟名勝天然記念物)
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*737年:聖武天皇、大般若経を書写させ泰澄に奉納させた(大阪府史蹟名勝天然記念物、和漢三才図会)
*774年(宝亀5年)、[[開成皇子]]が中興。[[光仁天皇]][[勅願所]]となる。
*774年(宝亀5年)、[[開成皇子]]が中興。[[光仁天皇]][[勅願所]]となる。
*836年:七高山阿闍梨の一つとして神峰山寺に阿闍梨を設置。
*836年:七高山阿闍梨の一つとして神峰山寺に阿闍梨を設置。
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*1126年:橘輔元(厳賢良恵、1089-1148)とその息子が病気平癒祈願。橘輔元は[[融通念仏]]に帰依し、[[良忍]]に師事し、[[大念仏寺]]2世になったとされる。阿路谷の嶺に庵室に結び、小豆で念仏を数えること21年間続けた。息子も忍恵と名乗り、神峯山寺36世座主となった。
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*877年:清和天皇行幸(和漢三才図会)
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*1765年(明和2年)焼失。
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*元慶年間:造営(大阪府史蹟名勝天然記念物)
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*1126年:橘輔元(厳賢良恵、1089-1148)とその息子が病気平癒祈願。九頭龍滝などに浴して治癒。伽藍を造営した。橘輔元は[[融通念仏]]に帰依し、[[良忍]]に師事し、後世には[[大念仏寺]]2世になったとみなされている。阿路谷の嶺に庵室に結び、小豆で念仏を数えること21年間続けた。息子も忍恵と名乗り、神峯山寺36世座主となった。
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*1164年:忍恵、『神峰山寺秘密縁起』を記したとされる。
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*戦国時代:松永久秀が帰依
*1571年:高槻城主和田惟長、寺領90石を安堵。
*1571年:高槻城主和田惟長、寺領90石を安堵。
*天正年間:高山右近に焼かれる。
*天正年間:高山右近に焼かれる。
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*豊臣秀頼、伽藍造営(大阪府史蹟名勝天然記念物)
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*1649年:徳川家光が伽藍を再興(和漢三才図会)
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*1765年(明和2年)焼失。
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*1777年(安永6年)本堂再建。
*安永年間:庶民参詣が盛んとなる。特に大坂堂島の米商人の信仰を集めた。
*安永年間:庶民参詣が盛んとなる。特に大坂堂島の米商人の信仰を集めた。
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(『日本歴史地名大系』ほか)
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*1834年:伏見宮邦家親王、「日本最初毘沙門天王」書軸を奉納(現存)。
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*1868年:有栖川宮幟仁親王、「根本山」「宝塔院」書軸を奉納(現存)。
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(『日本歴史地名大系』、ウェブサイトほか)
==伽藍==
==伽藍==
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*本堂:本尊は毘沙門天・[[吉祥天女]]・善〓師童子。中内陣に双神毘沙門天、内内陣に兜跋毘沙門天を祀る。1777年(安永6年)本堂再建。
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*本堂:本尊は毘沙門天・[[吉祥天女]]・善〓師童子。中内陣に双神毘沙門天、内内陣に兜跋毘沙門天を祀る。1777年(安永6年)本堂再建。和漢三才図会には毘沙門の他、不動、地蔵、梵天、帝釈天を記す。
*開山堂:本尊は役小角。
*開山堂:本尊は役小角。
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*釈迦堂:本尊は[[釈迦如来]]
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*釈迦堂:本尊は[[釈迦如来]]。元は「毘沙門不動護摩」を行う東堂だった。
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*観音堂:
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*観音堂:本尊は十一面観音。諸仏も祀る。
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*護摩堂:化城院。
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*護摩堂:本尊は不動明王。化城院。
*鐘楼堂:
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*仁王門:
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*仁王門:本尊は金剛力士。
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*光仁天皇分骨塔:十三重石塔。[[光仁天皇]]の分骨所。治定外陵墓。
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*光仁天皇分骨塔:十三重石塔。観音堂の隣にある。[[光仁天皇]]の分骨所。治定外陵墓。
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*開成皇子分髪塔:五重石塔。開成皇子の分骨所。治定外陵墓。
*役小角笈掛石:
*役小角笈掛石:
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*鎮守社:祭神は稲荷、山王、金毘羅。和漢三才図会。現存不詳。
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*白龍王社:祭神は宇賀神と龍神。
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*九頭龍神堂:祭神は九頭龍神。九頭龍滝にある。
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*金毘羅飯綱大権現:
*念仏塚:笠灯籠の地。良恵が21年間念仏の数を数えるのに使った赤小豆579石8斗を埋めたという。
*念仏塚:笠灯籠の地。良恵が21年間念仏の数を数えるのに使った赤小豆579石8斗を埋めたという。
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*東照権現:和漢三才図会。現存不詳。
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*宝篋印塔:1351年銘。参道沿い
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*宝篋印塔:1347年銘。本堂裏。
==子院==
==子院==
顕学衆徒宗六坊と修験密学行人宗六坊のほか、極楽院と来迎院があった。
顕学衆徒宗六坊と修験密学行人宗六坊のほか、極楽院と来迎院があった。
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*宝塔院:本坊。
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*嶺峰院:本尊は阿弥陀如来。現存。神峰山寺における追善回向の寺院。2003年再建。
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*真珠院:本尊は不動明王。現存。神峰山寺における修験の寺院。
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*寂定院:現存
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*龍光院:現存
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*霊雲院:神峰山寺奥之院。一説に[[摂津・本山寺]]のことという。
==資料==
==資料==
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*神峰山寺秘密縁起
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===古典籍===
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*神峰山寺文書
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*神峰山寺秘密縁起:1164年。
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*神峰山寺文書:『本山寺文書・神峯山寺文書・安岡寺文書調査報告書』
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===文献===
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*1922『大阪府全志』[https://books.google.co.jp/books?id=3C2B-BXElYcC&newbks=1&newbks_redir=0&printsec=frontcover&pg=PP811]
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*1928『大阪府史蹟名勝天然記念物』「神峯山寺」[https://books.google.co.jp/books?id=VHiNyHq0uOIC&newbks=1&newbks_redir=0&printsec=frontcover&pg=PP131]
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*橋本章彦1992「『神峰山寺秘密縁起』の奥書を検証する」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4426844/17]
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*橋本章彦1993「中世神峰山信仰の思想ー『神峰山寺秘密縁起』の分析から」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4427553/11]
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[[category:大阪府]]

2022年9月18日 (日) 時点における版

神峰山寺(かぶさんじ)は、大阪府高槻市原(摂津国島上郡)にある毘沙門天信仰天台宗寺院。日本最初の毘沙門天という。『口遊』にいう比叡山比良山伊吹山神峰山愛宕山金峰山葛城山の七高山の一つとされる。金毘羅童子(金毘羅権現か)を地主神とするのも特色といえる。有栖川宮家の祈願所。天台宗延暦寺派。一説に北1kmにある摂津・本山寺を奥之院とする。神峯山寺。宝塔院。山号は根本山。(参考:同名寺院神峰寺

目次

歴史

  • 697年(文武1年):役小角が創建。葛城山で修行中の役小角が北方に黄金の光を見つけ、神峰山で地主神の金毘羅童子に出会い、伽藍を建立。4体の毘沙門天を刻み、1体が神峰山に留められた。残りは鞍馬寺信貴山摂津・本山寺に飛翔していったという。
  • 721年:元正天皇、病気により祈願(大阪府史蹟名勝天然記念物)
  • 737年:聖武天皇、大般若経を書写させ泰澄に奉納させた(大阪府史蹟名勝天然記念物、和漢三才図会)
  • 774年(宝亀5年)、開成皇子が中興。光仁天皇勅願所となる。
  • 836年:七高山阿闍梨の一つとして神峰山寺に阿闍梨を設置。
  • 877年:清和天皇行幸(和漢三才図会)
  • 元慶年間:造営(大阪府史蹟名勝天然記念物)
  • 1126年:橘輔元(厳賢良恵、1089-1148)とその息子が病気平癒祈願。九頭龍滝などに浴して治癒。伽藍を造営した。橘輔元は融通念仏に帰依し、良忍に師事し、後世には大念仏寺2世になったとみなされている。阿路谷の嶺に庵室に結び、小豆で念仏を数えること21年間続けた。息子も忍恵と名乗り、神峯山寺36世座主となった。
  • 1164年:忍恵、『神峰山寺秘密縁起』を記したとされる。
  • 戦国時代:松永久秀が帰依
  • 1571年:高槻城主和田惟長、寺領90石を安堵。
  • 天正年間:高山右近に焼かれる。
  • 豊臣秀頼、伽藍造営(大阪府史蹟名勝天然記念物)
  • 1649年:徳川家光が伽藍を再興(和漢三才図会)
  • 1765年(明和2年)焼失。
  • 1777年(安永6年)本堂再建。
  • 安永年間:庶民参詣が盛んとなる。特に大坂堂島の米商人の信仰を集めた。
  • 1834年:伏見宮邦家親王、「日本最初毘沙門天王」書軸を奉納(現存)。
  • 1868年:有栖川宮幟仁親王、「根本山」「宝塔院」書軸を奉納(現存)。

(『日本歴史地名大系』、ウェブサイトほか)

伽藍

  • 本堂:本尊は毘沙門天・吉祥天女・善〓師童子。中内陣に双神毘沙門天、内内陣に兜跋毘沙門天を祀る。1777年(安永6年)本堂再建。和漢三才図会には毘沙門の他、不動、地蔵、梵天、帝釈天を記す。
  • 開山堂:本尊は役小角。
  • 釈迦堂:本尊は釈迦如来。元は「毘沙門不動護摩」を行う東堂だった。
  • 観音堂:本尊は十一面観音。諸仏も祀る。
  • 護摩堂:本尊は不動明王。化城院。
  • 鐘楼堂:
  • 仁王門:本尊は金剛力士。
  • 光仁天皇分骨塔:十三重石塔。観音堂の隣にある。光仁天皇の分骨所。治定外陵墓。
  • 開成皇子分髪塔:五重石塔。開成皇子の分骨所。治定外陵墓。
  • 役小角笈掛石:
  • 鎮守社:祭神は稲荷、山王、金毘羅。和漢三才図会。現存不詳。
  • 白龍王社:祭神は宇賀神と龍神。
  • 九頭龍神堂:祭神は九頭龍神。九頭龍滝にある。
  • 金毘羅飯綱大権現:
  • 念仏塚:笠灯籠の地。良恵が21年間念仏の数を数えるのに使った赤小豆579石8斗を埋めたという。
  • 東照権現:和漢三才図会。現存不詳。
  • 宝篋印塔:1351年銘。参道沿い
  • 宝篋印塔:1347年銘。本堂裏。

子院

顕学衆徒宗六坊と修験密学行人宗六坊のほか、極楽院と来迎院があった。

  • 宝塔院:本坊。
  • 嶺峰院:本尊は阿弥陀如来。現存。神峰山寺における追善回向の寺院。2003年再建。
  • 真珠院:本尊は不動明王。現存。神峰山寺における修験の寺院。
  • 寂定院:現存
  • 龍光院:現存
  • 霊雲院:神峰山寺奥之院。一説に摂津・本山寺のことという。

資料

古典籍

  • 神峰山寺秘密縁起:1164年。
  • 神峰山寺文書:『本山寺文書・神峯山寺文書・安岡寺文書調査報告書』

文献

  • 1922『大阪府全志』[1]
  • 1928『大阪府史蹟名勝天然記念物』「神峯山寺」[2]
  • 橋本章彦1992「『神峰山寺秘密縁起』の奥書を検証する」[3]
  • 橋本章彦1993「中世神峰山信仰の思想ー『神峰山寺秘密縁起』の分析から」[4]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%A5%9E%E5%B3%B0%E5%B1%B1%E5%AF%BA」より作成

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