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神峰山寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年9月18日 (日)

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'''神峰山寺'''(かぶさんじ)は、大阪府高槻市原(摂津国島上郡)にある[[毘沙門天信仰]]の[[天台宗]]寺院。日本最初の毘沙門天という。『口遊』にいう[[比叡山]]、[[比良山]]、[[伊吹山]]、[[神峰山]]、[[愛宕山]]、[[金峰山]]、[[葛城山]]の七高山の一つとされる。金毘羅童子([[金毘羅権現]]か)を地主神とするのも特色といえる。[[有栖川宮家]]の祈願所。[[天台宗延暦寺派]]。一説に北1kmにある[[摂津・本山寺]]を奥之院とする。'''神峯山寺'''。宝塔院。山号は根本山。(参考:同名寺院[[神峰寺]])  
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'''神峰山寺'''(かぶさんじ)は、大阪府高槻市原(摂津国島上郡)にある[[毘沙門天信仰]]の[[天台宗]]寺院。日本最初の毘沙門天という。[[神峰山]]も参照。金毘羅童子([[金毘羅権現]]か)を地主神とするのも特色といえる。[[有栖川宮家]]の祈願所。[[天台宗延暦寺派]]。一説に北1kmにある[[摂津・本山寺]]を奥之院とする。'''神峯山寺'''。宝塔院。山号は根本山。(参考:同名寺院[[神峰寺]])  
==歴史==
==歴史==
*697年(文武1年):[[役小角]]が創建。[[葛城山]]で修行中の役小角が北方に黄金の光を見つけ、神峰山で地主神の金毘羅童子に出会い、伽藍を建立。4体の毘沙門天を刻み、1体が神峰山に留められた。残りは[[鞍馬寺]]、[[信貴山]]、[[摂津・本山寺]]に飛翔していったという。
*697年(文武1年):[[役小角]]が創建。[[葛城山]]で修行中の役小角が北方に黄金の光を見つけ、神峰山で地主神の金毘羅童子に出会い、伽藍を建立。4体の毘沙門天を刻み、1体が神峰山に留められた。残りは[[鞍馬寺]]、[[信貴山]]、[[摂津・本山寺]]に飛翔していったという。
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*721年:元正天皇、病気により祈願(大阪府史蹟名勝天然記念物)
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*721年:[[元正天皇]]、病気により祈願(大阪府史蹟名勝天然記念物)
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*737年:聖武天皇、大般若経を書写させ泰澄に奉納させた(大阪府史蹟名勝天然記念物、和漢三才図会)
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*737年:[[聖武天皇]]、大般若経を書写させ[[泰澄]]に奉納させた(大阪府史蹟名勝天然記念物、和漢三才図会)
*748年:聖武天皇、荘田800畝を寄進(大阪府全志)。
*748年:聖武天皇、荘田800畝を寄進(大阪府全志)。
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*宝亀年間:光仁天皇、勅して宝祚長久を祈願させ、役小角を祀る開山堂を建立する(大阪府全志)。
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*宝亀年間:[[光仁天皇]]、勅して宝祚長久を祈願させ、役小角を祀る開山堂を建立する(大阪府全志)。
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*774年(宝亀5年)、[[開成皇子]]が中興。[[光仁天皇]][[勅願所]]となる。
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*774年(宝亀5年)、[[開成皇子]]が中興。光仁天皇[[勅願所]]となる。
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*791年:桓武天皇、荘田300歩を寄進し、大般若経を読誦させた(大阪府全志)。
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*791年:[[桓武天皇]]、荘田300歩を寄進し、大般若経を読誦させた(大阪府全志)。
*836年:七高山阿闍梨の一つとして神峰山寺に阿闍梨を設置。
*836年:七高山阿闍梨の一つとして神峰山寺に阿闍梨を設置。
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*857年5月:文徳天皇、山林寄進(大阪府全志)
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*857年5月:[[文徳天皇]]、山林寄進(大阪府全志)
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*877年:清和天皇行幸(和漢三才図会)
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*877年:[[清和天皇]]行幸(和漢三才図会)
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*943年:陽成天皇、勅して伽藍を奥之院と共に造営し、天台座主安蔵(不詳)を招いて供養する(大阪府全志)
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*943年:[[陽成天皇]]、勅して伽藍を奥之院と共に造営し、[[天台座主]]安蔵(不詳)を招いて供養する(大阪府全志)
*元慶年間:造営(大阪府史蹟名勝天然記念物)
*元慶年間:造営(大阪府史蹟名勝天然記念物)
*1126年:橘輔元(厳賢良恵、1089-1148)とその息子が病気平癒祈願。九頭龍滝などに浴して治癒。伽藍を造営した。橘輔元は[[融通念仏]]に帰依し、[[良忍]]に師事し、後世には[[大念仏寺]]2世になったとみなされている。阿路谷の嶺に庵室に結び、小豆で念仏を数えること21年間続けた。息子も忍恵と名乗り、神峯山寺36世座主となった。
*1126年:橘輔元(厳賢良恵、1089-1148)とその息子が病気平癒祈願。九頭龍滝などに浴して治癒。伽藍を造営した。橘輔元は[[融通念仏]]に帰依し、[[良忍]]に師事し、後世には[[大念仏寺]]2世になったとみなされている。阿路谷の嶺に庵室に結び、小豆で念仏を数えること21年間続けた。息子も忍恵と名乗り、神峯山寺36世座主となった。
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*1571年:高槻城主和田惟長、寺領90石を安堵。
*1571年:高槻城主和田惟長、寺領90石を安堵。
*天正年間:高山右近に焼かれる。
*天正年間:高山右近に焼かれる。
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*1604年:豊臣秀頼、伽藍造営(大阪府全志)
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*1604年:[[豊臣秀頼]]、伽藍造営(大阪府全志)
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*1649年8月:幕府朱印地を寄進。高槻藩主永井氏の請願による。(大阪府全志)
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*1649年8月:徳川家光、朱印地を寄進。高槻藩主永井氏の請願による。(大阪府全志)
*1649年:徳川家光が伽藍を再興(和漢三才図会)
*1649年:徳川家光が伽藍を再興(和漢三才図会)
*1765年(明和2年):焼失(大阪府全志)。
*1765年(明和2年):焼失(大阪府全志)。
*1777年(安永6年)11月:本堂再建(大阪府全志)。
*1777年(安永6年)11月:本堂再建(大阪府全志)。
*安永年間:庶民参詣が盛んとなる。特に大坂堂島の米商人の信仰を集めた。
*安永年間:庶民参詣が盛んとなる。特に大坂堂島の米商人の信仰を集めた。
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*1834年:伏見宮邦家親王、「日本最初毘沙門天王」書軸を奉納(現存)。
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*1834年:[[伏見宮]]邦家親王、「日本最初毘沙門天王」書軸を奉納(現存)。
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*1868年:有栖川宮幟仁親王、「根本山」「宝塔院」書軸を奉納(現存)。
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*1868年:[[有栖川宮]]幟仁親王、「根本山」「宝塔院」書軸を奉納(現存)。
*1874年:輪番を廃して住職を設置(大阪府全志)。
*1874年:輪番を廃して住職を設置(大阪府全志)。
(『日本歴史地名大系』、ウェブサイトほか)
(『日本歴史地名大系』、ウェブサイトほか)
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==伽藍==
==伽藍==
*本堂:本尊は毘沙門天・[[吉祥天女]]・善〓師童子。中内陣に双神毘沙門天、内内陣に兜跋毘沙門天を祀る。1777年(安永6年)本堂再建。和漢三才図会には毘沙門の他、不動、地蔵、梵天、帝釈天を記す。
*本堂:本尊は毘沙門天・[[吉祥天女]]・善〓師童子。中内陣に双神毘沙門天、内内陣に兜跋毘沙門天を祀る。1777年(安永6年)本堂再建。和漢三才図会には毘沙門の他、不動、地蔵、梵天、帝釈天を記す。
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*開山堂:本尊は役小角。
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*開山堂:本尊は[[役小角]]。
*釈迦堂:本尊は[[釈迦如来]]。元は「毘沙門不動護摩」を行う東堂だった。
*釈迦堂:本尊は[[釈迦如来]]。元は「毘沙門不動護摩」を行う東堂だった。
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*観音堂:本尊は十一面観音。諸仏も祀る。
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*観音堂:本尊は[[十一面観音]]。[[長谷寺観音]]の写しとも。諸仏も祀る。
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*護摩堂:本尊は不動明王。化城院。
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*護摩堂:本尊は[[不動明王]]。化城院。
*鐘楼堂:
*鐘楼堂:
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*仁王門:本尊は金剛力士。傍らに二王石があり、ランバ、ビランバという鬼神ゆかりのいう。
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*仁王門:本尊は[[金剛力士]]。傍らに二王石があり、ランバ、ビランバという鬼神ゆかりのいう。
*光仁天皇分骨塔:十三重石塔。観音堂の隣にある。[[光仁天皇]]の分骨所。開成皇子の建立という。治定外陵墓。
*光仁天皇分骨塔:十三重石塔。観音堂の隣にある。[[光仁天皇]]の分骨所。開成皇子の建立という。治定外陵墓。
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*開成皇子分髪塔:五重石塔。開成皇子の分骨所。治定外陵墓。
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*開成皇子分髪塔:五重石塔。[[開成皇子]]の分骨所。治定外陵墓。
*役小角笈掛石:
*役小角笈掛石:
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*鎮守社:祭神は稲荷、山王、金毘羅。和漢三才図会。現存不詳。
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*鎮守社:祭神は[[稲荷]]、[[山王]]、[[金毘羅]]。和漢三才図会。現存不詳。
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*白龍王社:祭神は宇賀神と龍神。
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*白龍王社:祭神は[[宇賀神]]と[[龍神]]。
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*九頭龍神堂:祭神は九頭龍神。九頭龍滝にある。
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*九頭龍神堂:祭神は龍神。九頭龍滝にある。
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*金毘羅飯綱大権現:
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*金毘羅飯綱大権現:参道沿い
*念仏塚:笠灯籠の地。良恵が21年間念仏の数を数えるのに使った赤小豆579石8斗を埋めたという。
*念仏塚:笠灯籠の地。良恵が21年間念仏の数を数えるのに使った赤小豆579石8斗を埋めたという。
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*東照権現:和漢三才図会。現存不詳。
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*東照権現:祭神は[[徳川家康]]。和漢三才図会。現存不詳。
*宝篋印塔:1351年銘。参道沿い
*宝篋印塔:1351年銘。参道沿い
*宝篋印塔:1347年銘。本堂裏。
*宝篋印塔:1347年銘。本堂裏。
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*葛城山遥拝所:参道沿い。現存不詳。(大阪府全志)
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*葛城山遥拝所:[[葛城山]]の遥拝所。参道沿い。現存不詳。(大阪府全志)
*影向松:現存不詳。(大阪府全志)
*影向松:現存不詳。(大阪府全志)
==子院==
==子院==
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顕学衆徒宗六坊と修験密学行人宗六坊のほか、極楽院と来迎院があった。維新時には宝塔院と寂定院と龍光院の3院のみだったという。
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顕学衆徒宗六坊と修験密学行人宗六坊のほか、別所として極楽院と来迎院があった。維新時には宝塔院と寂定院と龍光院の3院のみだったという。
*宝塔院:本坊。
*宝塔院:本坊。
*嶺峰院:本尊は阿弥陀如来。現存。神峰山寺における追善回向の寺院。2003年再建。
*嶺峰院:本尊は阿弥陀如来。現存。神峰山寺における追善回向の寺院。2003年再建。
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*龍光院:現存
*龍光院:現存
*霊雲院:神峰山寺奥之院。一説に[[摂津・本山寺]]のことという。
*霊雲院:神峰山寺奥之院。一説に[[摂津・本山寺]]のことという。
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*極楽院:廃絶。
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*来迎院:廃絶。
==資料==
==資料==
===古典籍===
===古典籍===

2022年9月18日 (日) 時点における最新版

神峰山寺(かぶさんじ)は、大阪府高槻市原(摂津国島上郡)にある毘沙門天信仰天台宗寺院。日本最初の毘沙門天という。神峰山も参照。金毘羅童子(金毘羅権現か)を地主神とするのも特色といえる。有栖川宮家の祈願所。天台宗延暦寺派。一説に北1kmにある摂津・本山寺を奥之院とする。神峯山寺。宝塔院。山号は根本山。(参考:同名寺院神峰寺

目次

歴史

  • 697年(文武1年):役小角が創建。葛城山で修行中の役小角が北方に黄金の光を見つけ、神峰山で地主神の金毘羅童子に出会い、伽藍を建立。4体の毘沙門天を刻み、1体が神峰山に留められた。残りは鞍馬寺信貴山摂津・本山寺に飛翔していったという。
  • 721年:元正天皇、病気により祈願(大阪府史蹟名勝天然記念物)
  • 737年:聖武天皇、大般若経を書写させ泰澄に奉納させた(大阪府史蹟名勝天然記念物、和漢三才図会)
  • 748年:聖武天皇、荘田800畝を寄進(大阪府全志)。
  • 宝亀年間:光仁天皇、勅して宝祚長久を祈願させ、役小角を祀る開山堂を建立する(大阪府全志)。
  • 774年(宝亀5年)、開成皇子が中興。光仁天皇勅願所となる。
  • 791年:桓武天皇、荘田300歩を寄進し、大般若経を読誦させた(大阪府全志)。
  • 836年:七高山阿闍梨の一つとして神峰山寺に阿闍梨を設置。
  • 857年5月:文徳天皇、山林寄進(大阪府全志)
  • 877年:清和天皇行幸(和漢三才図会)
  • 943年:陽成天皇、勅して伽藍を奥之院と共に造営し、天台座主安蔵(不詳)を招いて供養する(大阪府全志)
  • 元慶年間:造営(大阪府史蹟名勝天然記念物)
  • 1126年:橘輔元(厳賢良恵、1089-1148)とその息子が病気平癒祈願。九頭龍滝などに浴して治癒。伽藍を造営した。橘輔元は融通念仏に帰依し、良忍に師事し、後世には大念仏寺2世になったとみなされている。阿路谷の嶺に庵室に結び、小豆で念仏を数えること21年間続けた。息子も忍恵と名乗り、神峯山寺36世座主となった。
  • 1164年:忍恵、『神峰山寺秘密縁起』を記したとされる。
  • 戦国時代:松永久秀が帰依
  • 1571年:高槻城主和田惟長、寺領90石を安堵。
  • 天正年間:高山右近に焼かれる。
  • 1604年:豊臣秀頼、伽藍造営(大阪府全志)
  • 1649年8月:徳川家光、朱印地を寄進。高槻藩主永井氏の請願による。(大阪府全志)
  • 1649年:徳川家光が伽藍を再興(和漢三才図会)
  • 1765年(明和2年):焼失(大阪府全志)。
  • 1777年(安永6年)11月:本堂再建(大阪府全志)。
  • 安永年間:庶民参詣が盛んとなる。特に大坂堂島の米商人の信仰を集めた。
  • 1834年:伏見宮邦家親王、「日本最初毘沙門天王」書軸を奉納(現存)。
  • 1868年:有栖川宮幟仁親王、「根本山」「宝塔院」書軸を奉納(現存)。
  • 1874年:輪番を廃して住職を設置(大阪府全志)。

(『日本歴史地名大系』、ウェブサイトほか)

伽藍

  • 本堂:本尊は毘沙門天・吉祥天女・善〓師童子。中内陣に双神毘沙門天、内内陣に兜跋毘沙門天を祀る。1777年(安永6年)本堂再建。和漢三才図会には毘沙門の他、不動、地蔵、梵天、帝釈天を記す。
  • 開山堂:本尊は役小角
  • 釈迦堂:本尊は釈迦如来。元は「毘沙門不動護摩」を行う東堂だった。
  • 観音堂:本尊は十一面観音長谷寺観音の写しとも。諸仏も祀る。
  • 護摩堂:本尊は不動明王。化城院。
  • 鐘楼堂:
  • 仁王門:本尊は金剛力士。傍らに二王石があり、ランバ、ビランバという鬼神ゆかりのいう。
  • 光仁天皇分骨塔:十三重石塔。観音堂の隣にある。光仁天皇の分骨所。開成皇子の建立という。治定外陵墓。
  • 開成皇子分髪塔:五重石塔。開成皇子の分骨所。治定外陵墓。
  • 役小角笈掛石:
  • 鎮守社:祭神は稲荷山王金毘羅。和漢三才図会。現存不詳。
  • 白龍王社:祭神は宇賀神龍神
  • 九頭龍神堂:祭神は龍神。九頭龍滝にある。
  • 金毘羅飯綱大権現:参道沿い
  • 念仏塚:笠灯籠の地。良恵が21年間念仏の数を数えるのに使った赤小豆579石8斗を埋めたという。
  • 東照権現:祭神は徳川家康。和漢三才図会。現存不詳。
  • 宝篋印塔:1351年銘。参道沿い
  • 宝篋印塔:1347年銘。本堂裏。
  • 葛城山遥拝所:葛城山の遥拝所。参道沿い。現存不詳。(大阪府全志)
  • 影向松:現存不詳。(大阪府全志)

子院

顕学衆徒宗六坊と修験密学行人宗六坊のほか、別所として極楽院と来迎院があった。維新時には宝塔院と寂定院と龍光院の3院のみだったという。

  • 宝塔院:本坊。
  • 嶺峰院:本尊は阿弥陀如来。現存。神峰山寺における追善回向の寺院。2003年再建。
  • 真珠院:本尊は不動明王。現存。神峰山寺における修験の寺院。
  • 寂定院:現存
  • 龍光院:現存
  • 霊雲院:神峰山寺奥之院。一説に摂津・本山寺のことという。
  • 極楽院:廃絶。
  • 来迎院:廃絶。

資料

古典籍

  • 神峰山寺秘密縁起:1164年。
  • 神峰山寺文書:『本山寺文書・神峯山寺文書・安岡寺文書調査報告書』

文献

  • 1922『大阪府全志』[1]
  • 1928『大阪府史蹟名勝天然記念物』「神峯山寺」[2]
  • 橋本章彦1992「『神峰山寺秘密縁起』の奥書を検証する」[3]
  • 橋本章彦1993「中世神峰山信仰の思想ー『神峰山寺秘密縁起』の分析から」[4]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%A5%9E%E5%B3%B0%E5%B1%B1%E5%AF%BA」より作成

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