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米沢城御堂
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2015年3月2日 (月)
米沢城御堂(よねざわじょう・みどう)は、江戸時代の出羽国(羽前国)置賜郡の米沢城本丸の東南隅にあった、米沢藩上杉家始祖の戦国武将上杉謙信を祀る霊廟。山形県米沢市。謙信の遺骸そのものが奉安され、家中では神格化されて恐れられていた。上杉家の転封に伴い、遺骸は春日山城不識庵から会津を経て、当城に遷された。米沢でも「不識庵」とも呼ばれた。脇侍として春日山城毘沙門堂から遷された謙信の守護神の泥足毘沙門天と、謙信が信濃善光寺から略奪した善光寺如来が祀られていた。善光寺遷座旧跡。
歴史
慶長14年6月、竣工。幕末の嘉永2年12月20日に火災で焼失するが、翌年8月に再建された。御堂を管理していたのは城内にあった霊仙寺だったが、このほか能化衆の法音寺、大乗寺、蔵王堂、大聖院、安養院、教王院、長福寺、宝蔵寺、金剛院、延寿寺、妙観院、御堂衆の善性院、東光院、円明院、万秀院、弥勒院、浄福院、連蔵院、正福院、法性院があり、その21寺の奉仕で祭祀が行われていた(寺院名は幕末の再建のときの棟札による[1])。能化衆は学僧、御堂衆は儀礼を司った僧侶と思われる。 明治維新で廃絶となり、祭祀は新たに城跡に建てられた上杉神社に継承される一方、遺骸は上杉家墓地に埋葬された。泥足毘沙門天と善光寺如来は上杉家菩提寺の法音寺に遷された。御堂だった建物は、明治9年ごろ、米沢・長命寺(真宗大谷派)本堂として移築されて現存している。城内の御堂跡地には戊辰戦争などの戦死者を祀る大型の招魂碑が建てられている。