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美作・誕生寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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法然誕生の時、西より2つの白幡が飛来し、椋の木の梢に引っかかり、7日後、どこかに飛び去ったという。その椋木は「二幡の椋」として本堂の左側にある。また菩提寺で修行を終えた法然が京都に旅立つ時にそこまで使ってきた杖を指したのが成長したという「逆木の公孫樹」がある。枝と根っこが逆さまに生えているとされる。 | 法然誕生の時、西より2つの白幡が飛来し、椋の木の梢に引っかかり、7日後、どこかに飛び去ったという。その椋木は「二幡の椋」として本堂の左側にある。また菩提寺で修行を終えた法然が京都に旅立つ時にそこまで使ってきた杖を指したのが成長したという「逆木の公孫樹」がある。枝と根っこが逆さまに生えているとされる。 | ||
- | + | 御影堂、阿弥陀堂、観音堂があり、離れた場所に法然両親の墓である勢至堂がある。 | |
奥の院として浄土院がある。 | 奥の院として浄土院がある。 | ||
御影堂は1695年(元禄8年)の再建で法然43歳の自作の御影を祀る。 | 御影堂は1695年(元禄8年)の再建で法然43歳の自作の御影を祀る。 | ||
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2013年1月21日 (月) 時点における版
誕生寺 たんじょうじ | |
概要 | 浄土宗宗祖法然の生誕地に創建された寺院。 |
奉斎 | |
所在地 | 岡山県久米郡久米南町里方808 |
所在地(旧国郡) | 美作国久米郡 |
所属(現在) | 浄土宗 |
格式など | 浄土宗特別寺院 |
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目次 |
概要
誕生寺は浄土宗宗祖法然の生誕地に創建された寺院。
建久4年(1193)に法力房蓮生(熊谷直実)が、法然自作の御影を奉じて来訪し、旧宅を寺院としたのが始まりとされる。
法然誕生の時、西より2つの白幡が飛来し、椋の木の梢に引っかかり、7日後、どこかに飛び去ったという。その椋木は「二幡の椋」として本堂の左側にある。また菩提寺で修行を終えた法然が京都に旅立つ時にそこまで使ってきた杖を指したのが成長したという「逆木の公孫樹」がある。枝と根っこが逆さまに生えているとされる。
御影堂、阿弥陀堂、観音堂があり、離れた場所に法然両親の墓である勢至堂がある。 奥の院として浄土院がある。 御影堂は1695年(元禄8年)の再建で法然43歳の自作の御影を祀る。
江戸時代には松仙恵風が入寺して、浄土律の寺院となった。
画像
参考文献