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能登・本誓寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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もともと近くの'''阿岸郷'''新町分(現・輪島市門前町新町分)にあったが、中世末に1.6km西の現在地に移転した。 | もともと近くの'''阿岸郷'''新町分(現・輪島市門前町新町分)にあったが、中世末に1.6km西の現在地に移転した。 | ||
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現在の本堂は、寛政4年(1792)の造営。全国的にも珍しい巨大な茅葺きの堂宇で「日本三大茅葺」の一つとされる。幕末に京都貴族の[[二条家]]の'''五百姫'''が嫁いでいる。 | 現在の本堂は、寛政4年(1792)の造営。全国的にも珍しい巨大な茅葺きの堂宇で「日本三大茅葺」の一つとされる。幕末に京都貴族の[[二条家]]の'''五百姫'''が嫁いでいる。 | ||
2017年6月18日 (日) 時点における版
本誓寺(ほんせいじ)は、石川県輪島市(能登国鳳至郡)にある、能登最古・最大の浄土真宗寺院。真宗大谷派。 「阿岸本誓寺」「新巻山本誓寺」。(参考:同名寺院本誓寺)
当寺は石動山系統の真言宗松岡寺であったが、承元元年(1207)、住職良禅が親鸞に出会い、文永5年(1268)は善了が本願寺2世の如信に帰依し、浄土真宗に改宗。「本誓寺」の号を下賜された。
もともと近くの阿岸郷新町分(現・輪島市門前町新町分)にあったが、中世末に1.6km西の現在地に移転した。 江戸時代、加賀藩前田家の領内となり、鳳至郡106寺を統括する触頭となり、同じく触頭となった七尾の能登・長福寺(東本願寺末)、光徳寺(西本願寺末)とともに能登を代表する真宗寺院となった。 現在の本堂は、寛政4年(1792)の造営。全国的にも珍しい巨大な茅葺きの堂宇で「日本三大茅葺」の一つとされる。幕末に京都貴族の二条家の五百姫が嫁いでいる。
五木寛之氏は『百寺巡礼』で北陸編の冒頭に当寺を据え、「真宗王国 能登の玄関」と評している。