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菊池神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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(?歴史)
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*1868年7月:朝廷、熊本藩に菊池氏と加藤清正の祭祀を命じる(菊池勤王史)
*1868年7月:朝廷、熊本藩に菊池氏と加藤清正の祭祀を命じる(菊池勤王史)
*1869年9月:藩主の寄付で社殿造営(菊池勤王史)
*1869年9月:藩主の寄付で社殿造営(菊池勤王史)
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*1870年4月26日:藤崎八旛宮で菊池武時から菊池武朝まで6代の神霊を招く。(菊池勤王史)
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*1870年4月26日:[[藤崎八旛宮]]で菊池武時から菊池武朝まで6代の神霊を招く。(菊池勤王史)
*1870年4月27日:隈府町将軍木下に仮泊(菊池勤王史)
*1870年4月27日:隈府町将軍木下に仮泊(菊池勤王史)
*1870年4月28日:社殿に鎮座(菊池勤王史)
*1870年4月28日:社殿に鎮座(菊池勤王史)
*1873年5月:郷社に列格(菊池勤王史)
*1873年5月:郷社に列格(菊池勤王史)
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*1875年7月:県社に昇格(菊池勤王史)
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*1875年7月:[[県社]]に昇格(菊池勤王史)
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*1878年1月10日:別格官幣社に昇格(菊池勤王史)
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*1878年1月10日:[[別格官幣社]]に昇格(菊池勤王史)
*1878年1月31日:勅使として熊本県権令代理の書記官北垣国道が参向。[https://www.digital.archives.go.jp/img/3639993]
*1878年1月31日:勅使として熊本県権令代理の書記官北垣国道が参向。[https://www.digital.archives.go.jp/img/3639993]
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*1878年2月7日:熊本県から政府。殉難戦没の将士配祀について戦没かどうか菊池一族かどうかに関わらず奉斎したいと願う。28日回答。[https://www.digital.archives.go.jp/img/3639994]
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*1878年2月7日:熊本県から政府に問い合わせ。殉難戦没の将士配祀について戦没かどうか菊池一族かどうかに関わらず奉斎したいと願う。28日回答。[https://www.digital.archives.go.jp/img/3639994]
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*1878年6月3日:例祭日を5月5日に決定。(菊池勤王史)
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*1878年6月3日:例祭日を5月5日に決定。
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*1881年7月26日:井戸修繕として府県営繕費から62円支出許可。(菊池勤王史)
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*1881年7月26日:井戸修繕として府県営繕費から62円支出許可。
*1883年8月:菊池武時に従三位追贈。(菊池勤王史)
*1883年8月:菊池武時に従三位追贈。(菊池勤王史)
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*1983/9/2:菊池武時贈位式。勅使として熊本県令富岡敬明参向。菊池神社にて?[https://www.digital.archives.go.jp/img/4673395]
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*1983年9月2日:菊池武時贈位式。勅使として熊本県令富岡敬明参向。菊池神社にて?[https://www.digital.archives.go.jp/img/4673395]
*1902年11月12日:菊池武時に従一位追贈。菊池武重と菊池武光に従三位追贈。(菊池勤王史)
*1902年11月12日:菊池武時に従一位追贈。菊池武重と菊池武光に従三位追贈。(菊池勤王史)
*1902年11月:3人の墓にそれぞれ勅使参向(菊池勤王史)
*1902年11月:3人の墓にそれぞれ勅使参向(菊池勤王史)
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*1919年9月:城山神社鎮座(菊池勤王史)
*1919年9月:城山神社鎮座(菊池勤王史)
*1923年3月10日:配祀神の菊池武重と菊池武光を主祭神に加える。天皇裁可。[https://www.digital.archives.go.jp/img/1683014]
*1923年3月10日:配祀神の菊池武重と菊池武光を主祭神に加える。天皇裁可。[https://www.digital.archives.go.jp/img/1683014]
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*1931年11月12日:昭和天皇参拝
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*1931年11月12日:[[昭和天皇]]参拝
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*1970年:雲上宮創建。
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*1970年:[[雲上宮]]創建。
==境内==
==境内==

2022年5月13日 (金) 時点における版

菊池神社
きくち じんじゃ
概要 南朝忠臣を奉斎する神社。
奉斎 菊池武時、菊池武重、菊池武光
(土岐昌訓論文)
所在地 熊本県菊池市隈府1257
所在地(旧国郡)
所属(現在) 神社本庁
格式など 別格官幣社別表神社
関連記事 南朝英雄奉斎神社

目次

概要

菊池神社(きくち・じんじゃ)は、熊本県菊池市の菊池城跡にある南朝武将菊池武時などを祀る霊社。武重の墓(東南770m)や武光の墓(南南東400m、正観寺内)は近隣にあるが、武時の墓は福岡県福岡市中央区六本松にある。 熊本藩主一族の長岡護美(もりよし)の建言を受け、明治政府が熊本藩に祭祀を命じ、明治3年、菊池城跡地に創建された。


歴史

  • 1868年5月:朝廷、土佐藩士菅野覚兵衛、大村藩士深沢南八郎に菊池氏の事績の調査を命じる。(菊池勤王史)
  • 1868年7月:朝廷、熊本藩に菊池氏と加藤清正の祭祀を命じる(菊池勤王史)
  • 1869年9月:藩主の寄付で社殿造営(菊池勤王史)
  • 1870年4月26日:藤崎八旛宮で菊池武時から菊池武朝まで6代の神霊を招く。(菊池勤王史)
  • 1870年4月27日:隈府町将軍木下に仮泊(菊池勤王史)
  • 1870年4月28日:社殿に鎮座(菊池勤王史)
  • 1873年5月:郷社に列格(菊池勤王史)
  • 1875年7月:県社に昇格(菊池勤王史)
  • 1878年1月10日:別格官幣社に昇格(菊池勤王史)
  • 1878年1月31日:勅使として熊本県権令代理の書記官北垣国道が参向。[1]
  • 1878年2月7日:熊本県から政府に問い合わせ。殉難戦没の将士配祀について戦没かどうか菊池一族かどうかに関わらず奉斎したいと願う。28日回答。[2]
  • 1878年6月3日:例祭日を5月5日に決定。
  • 1881年7月26日:井戸修繕として府県営繕費から62円支出許可。
  • 1883年8月:菊池武時に従三位追贈。(菊池勤王史)
  • 1983年9月2日:菊池武時贈位式。勅使として熊本県令富岡敬明参向。菊池神社にて?[3]
  • 1902年11月12日:菊池武時に従一位追贈。菊池武重と菊池武光に従三位追贈。(菊池勤王史)
  • 1902年11月:3人の墓にそれぞれ勅使参向(菊池勤王史)
  • 1911年11月15日:菊池武政と菊池武朝に従三位追贈。(菊池勤王史)
  • 1911年12月7日:勅使として熊本県知事川路利恭が菊池武政の墓前と、菊池武朝の菊池神社霊前に参向。(菊池勤王史)
  • 1915年11月:菊池武敏と菊池武房に従三位追贈。(菊池勤王史)
  • 1916年12月:菊池重朝に正四位追贈。(菊池勤王史)
  • 1916年12月:菊池武房と菊池重朝を祀る摂社城山神社認可。(菊池勤王史)
  • 1919年2月:城山神社社殿造営許可(菊池勤王史)
  • 1919年9月:城山神社鎮座(菊池勤王史)
  • 1923年3月10日:配祀神の菊池武重と菊池武光を主祭神に加える。天皇裁可。[4]
  • 1931年11月12日:昭和天皇参拝
  • 1970年:雲上宮創建。

境内

  • 本社
  • 雲上宮
  • 城山神社
  • 稲荷神社
  • 生目神社

組織

宮司

  • 出田游亀(-1894)<-1894>:1894年(明治27年)2月12日死去(官報)。
  • 渋江晩香(1833-1914)<>:肥後出身。私塾遜志堂を開く。
  • 中島仰()<>:1945年(昭和20年)10月在職。

画像

資料

  • 『菊池勤王史』「別格官幤社菊池神社誌」[5]

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%8F%8A%E6%B1%A0%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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