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葦守八幡宮 - SHINDEN

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葦守八幡宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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|応神天皇離宮の葉田葦守宮跡に鎮座する八幡宮。
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*[[応神天皇旧跡]]
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*[[歴代天皇宮跡]]
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==概要==
==概要==
'''葦守八幡宮'''は、応神天皇の離宮跡に鎮座する八幡宮。祭神は、「応神天皇、神功皇后、玉依媛命、兄媛命、御友別命」である(岡山県神社庁ウェブサイト) 。
'''葦守八幡宮'''は、応神天皇の離宮跡に鎮座する八幡宮。祭神は、「応神天皇、神功皇后、玉依媛命、兄媛命、御友別命」である(岡山県神社庁ウェブサイト) 。
『日本書紀』によると応神天皇は即位22年に吉備に行幸した。故郷の吉備に帰った妃の兄媛(御友別命の妹)を慕っていったものであった。吉備では'''葉田葦守宮'''に滞在し、御友別命の歓迎を受けた。葦守八幡宮は御友別命の子である中津彦命が応神天皇崩御後に宮跡に祀ったのが始まりとされる。平安時代末期の「備中国足守荘絵図」(国宝・神護寺蔵)に記載があり、古社であることが史料上も確認できる。中津彦命の末裔の賀陽氏が奉仕した。1607年(慶長12年)には豊臣秀頼が豊臣家再興を祈願して、神鏡が奉納されている。木下家足守藩の総鎮守であった。鳥居は年代刻銘のある最古の鳥居で国重要文化財である。郷社。 (岡山県神社庁ウェブサイト)
『日本書紀』によると応神天皇は即位22年に吉備に行幸した。故郷の吉備に帰った妃の兄媛(御友別命の妹)を慕っていったものであった。吉備では'''葉田葦守宮'''に滞在し、御友別命の歓迎を受けた。葦守八幡宮は御友別命の子である中津彦命が応神天皇崩御後に宮跡に祀ったのが始まりとされる。平安時代末期の「備中国足守荘絵図」(国宝・神護寺蔵)に記載があり、古社であることが史料上も確認できる。中津彦命の末裔の賀陽氏が奉仕した。1607年(慶長12年)には豊臣秀頼が豊臣家再興を祈願して、神鏡が奉納されている。木下家足守藩の総鎮守であった。鳥居は年代刻銘のある最古の鳥居で国重要文化財である。郷社。 (岡山県神社庁ウェブサイト)

2011年4月5日 (火) 時点における版

葦守八幡宮
あしもり はちまんぐう
概要 応神天皇離宮の葉田葦守宮跡に鎮座する八幡宮。
所在地 岡山県岡山市北区下足守
所在地(旧国郡) 備中国賀陽郡
社格など 郷社
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概要

葦守八幡宮は、応神天皇の離宮跡に鎮座する八幡宮。祭神は、「応神天皇、神功皇后、玉依媛命、兄媛命、御友別命」である(岡山県神社庁ウェブサイト) 。

『日本書紀』によると応神天皇は即位22年に吉備に行幸した。故郷の吉備に帰った妃の兄媛(御友別命の妹)を慕っていったものであった。吉備では葉田葦守宮に滞在し、御友別命の歓迎を受けた。葦守八幡宮は御友別命の子である中津彦命が応神天皇崩御後に宮跡に祀ったのが始まりとされる。平安時代末期の「備中国足守荘絵図」(国宝・神護寺蔵)に記載があり、古社であることが史料上も確認できる。中津彦命の末裔の賀陽氏が奉仕した。1607年(慶長12年)には豊臣秀頼が豊臣家再興を祈願して、神鏡が奉納されている。木下家足守藩の総鎮守であった。鳥居は年代刻銘のある最古の鳥居で国重要文化財である。郷社。 (岡山県神社庁ウェブサイト)

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