ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
薩摩・浄光明寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
(?歴史) |
|||
6行: | 6行: | ||
1276年(建治2年)頃、[[大隅正八幡宮]]を参詣した[[一遍]](1239-1289)に島津久経が帰依して時宗となった。島津久経が1284年(弘安7年)、父の島津忠時13回忌にあたり中興。1518年(永正15年)、[[遊行上人]]23世他阿称愚(1470-1518)が浄光明寺で死去。1717年(享保2年)4月、火災で焼失。島津吉貴が再建。島津吉貴が葬られた。 | 1276年(建治2年)頃、[[大隅正八幡宮]]を参詣した[[一遍]](1239-1289)に島津久経が帰依して時宗となった。島津久経が1284年(弘安7年)、父の島津忠時13回忌にあたり中興。1518年(永正15年)、[[遊行上人]]23世他阿称愚(1470-1518)が浄光明寺で死去。1717年(享保2年)4月、火災で焼失。島津吉貴が再建。島津吉貴が葬られた。 | ||
- | 1869年(明治2年) | + | 1869年(明治2年)廃仏毀釈で廃絶。跡地に[[龍尾神社]]を創建。 |
+ | 1883年(明治16年)、子院芳林庵跡に浄光明寺を再建。元の浄光明寺の跡には[[南洲墓地]]が設けられた。島津吉貴の墓は1970年(昭和45年)[[島津家福昌寺墓地]]に改葬された。 | ||
(日本歴史地名大系) | (日本歴史地名大系) |
2020年3月21日 (土) 時点における版
浄光明寺(じょうこうみょうじ)は、鹿児島県鹿児島市上竜尾町にある島津家ゆかりの時宗寺院。本尊は阿弥陀如来。初代島津忠久から5代までと、島津吉貴の菩提寺。跡地に南洲神社が建てられた。無量寿院。山号は松峰山。(参考:同名寺院浄光明寺_(同名))
歴史
1186年(文治2年)、島津忠久が薩摩に下る時、宣阿説誠を伴い、浄光明寺を創建。あるいは1196年(建久7年)の創建ともいう。
1276年(建治2年)頃、大隅正八幡宮を参詣した一遍(1239-1289)に島津久経が帰依して時宗となった。島津久経が1284年(弘安7年)、父の島津忠時13回忌にあたり中興。1518年(永正15年)、遊行上人23世他阿称愚(1470-1518)が浄光明寺で死去。1717年(享保2年)4月、火災で焼失。島津吉貴が再建。島津吉貴が葬られた。
1869年(明治2年)廃仏毀釈で廃絶。跡地に龍尾神社を創建。 1883年(明治16年)、子院芳林庵跡に浄光明寺を再建。元の浄光明寺の跡には南洲墓地が設けられた。島津吉貴の墓は1970年(昭和45年)島津家福昌寺墓地に改葬された。
(日本歴史地名大系)