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行基建立四十九院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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『行基年譜』に基づく寺院群。その数が厳密に49寺だったのかは、「検討を要する」という。大和、摂津、和泉、河内、山背(山城)に分布。
『行基年譜』に基づく寺院群。その数が厳密に49寺だったのかは、「検討を要する」という。大和、摂津、和泉、河内、山背(山城)に分布。
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『続日本紀』宝亀4年(773)11月20日条記載の光仁天皇の勅に「その修行の院は全部で四十余処」と挙げられているものに該当すると考えられている。勅で荒廃した寺院の復興のために施入を指示しているところとして、菩提院([[頭陀院]])山城、登美院([[隆福院]])、生馬院([[竹林寺]]?)、[[石凝院]]、高渚院([[清浄土院]])、山崎院が挙げられている。
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『続日本紀』宝亀4年(773)11月20日条記載の光仁天皇の勅に「その修行の院は全部で四十余処」と挙げられているものに該当すると考えられている。勅で荒廃した寺院の復興のために施入を指示しているところとして、菩提院([[頭陀院]])、登美院([[隆福院]])、生馬院([[竹林寺]]?)、[[石凝院]]、高渚院([[清浄土院]])、[[山崎院]]が挙げられている。
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現存寺院は少なく、所在地が確定されたものも多くはない。「その堂宇は小規模なものであっとことが想定できる」という。
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現存寺は少なく、跡地が確定されたものも多くはない。そのため、「堂宇は小規模なものであっとことが想定できる」という。
==一覧==
==一覧==
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*[[大修恵院]] 和泉国大鳥郡。現高倉寺。
*[[大修恵院]] 和泉国大鳥郡。現高倉寺。
*[[恩光寺]] 大和国平群郡。跡地不明。
*[[恩光寺]] 大和国平群郡。跡地不明。
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*[[隆福院]] 大和国添下郡。跡地不明。追分廃寺説あり。
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*[[隆福院]] 大和国添下郡。跡地不明。[[追分廃寺]]説あり。
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*[[石凝院]] 河内国河内郡。跡地不明。日下町廃寺説あり。
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*[[石凝院]] 河内国河内郡。跡地不明。[[日下町廃寺]]説あり。
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*[[菅原寺]] 平城京右京三条三坊。現喜光寺。
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*[[菅原寺]] [[平城京]]右京三条三坊。現喜光寺。
===拡大時代===
===拡大時代===
*[[清浄土院]]
*[[清浄土院]]

2016年4月9日 (土) 時点における版

行基建立四十九院は、行基が建てたと伝える49の古代寺院

『行基年譜』に基づく寺院群。その数が厳密に49寺だったのかは、「検討を要する」という。大和、摂津、和泉、河内、山背(山城)に分布。

『続日本紀』宝亀4年(773)11月20日条記載の光仁天皇の勅に「その修行の院は全部で四十余処」と挙げられているものに該当すると考えられている。勅で荒廃した寺院の復興のために施入を指示しているところとして、菩提院(頭陀院)、登美院(隆福院)、生馬院(竹林寺?)、石凝院、高渚院(清浄土院)、山崎院が挙げられている。

現存寺は少なく、跡地が確定されたものも多くはない。そのため、「堂宇は小規模なものであっとことが想定できる」という。

目次

一覧

禁圧時代

拡大時代

恭仁以降

その他

(千田稔『天平の僧 行基』)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%A1%8C%E5%9F%BA%E5%BB%BA%E7%AB%8B%E5%9B%9B%E5%8D%81%E4%B9%9D%E9%99%A2」より作成

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