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豊浦寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2017年10月1日 (日) 時点における版
豊浦寺(とゆらでら)は、大和国飛鳥にあった古代寺院。日本最古の仏教寺院。蘇我氏ゆかり。向原寺が後身とされる。善光寺遷座旧跡。聖徳太子建立四十六寺の一つともいう。建興寺。
歴史
蘇我稲目が自邸に仏像を祀ったのが起源。小墾田邸、向原寺、桜井道場、豊浦寺といった場所が一つの寺院の系譜として位置付けられているが、それぞれ所在地や由来・変遷は諸説ある。さらに別寺院であるはずの元興寺と結び付ける説もある(元興寺伽藍縁起並流記資財帳)。
中世の善光寺信仰では、創建時に祀られた本尊が、信濃善光寺に祀られている善光寺如来(一光三尊阿弥陀如来像)と信じられている。 552(欽明13)年、善光寺如来は、自身の意思によって、日本に渡り、日本に仏教が伝えられた。宮中では崇仏論争が起きたが、蘇我稲目が自邸に善光寺如来を祀った。しかし、疫病が起こり、崇仏をしたための神祇の祟りだとされて、寺は焼却され、善光寺如来は難波の堀江に捨てられた。その後の593年(推古1年)、同地には推古天皇の豊浦宮が造営され、603年(推古11年)、天皇が小墾田宮に移ったあと、豊浦寺となった。